映画『パラサイト 半地下の家族』寄生家族のラスト結末は?評価の高さの理由や注目ポイントを解説

パラサイト 半地下の家族

第92回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む4部門を受賞した『パラサイト 半地下の家族』。

今回の受賞がポン・ジュノ監督にとっても、韓国映画界にとっても大きなブレイクスルーとなったことは言うまでもありません。

今回はそんな『パラサイト 半地下の家族』の結末を交えながら、高い評価を受けるに至った理由や注目すべきポイントを解説します。

『パラサイト 半地下の家族』ラスト結末をネタバレ

パク家の地下シェルター

半地下のアパートに暮らす貧しいキム一家は、息子ギウの機転をきっかけに裕福なパク一家に「寄生」することになります。

ギウとギジョンの姉弟は家庭教師としてパク家に雇われ、父ギテクはパク家の主ドンイクの専属運転手、母チュンスクはパク家の家政婦として雇われます。

4人が家族だとは知らないパク家の者たちは、ある日キャンプ旅行に出かけるのでした。

残されたキム一家はパク家のリビングで酒池肉林の大騒ぎ。ところが、そこに突如として鳴り響くインターホンの音。

以前の家政婦が忘れ物を取りに戻って来たのでした。

チュンスクが恐る恐る扉を開けると、家政婦は一直線にパク家の地下へと向かっていきます。

驚くべきことに、隠し扉を開けた先には地下シェルターが広がり、その奥には家政婦の夫・グンセが暮らしていました。

家政婦はパク家に見つからないように、借金に追われる夫を地下シェルターに匿っていたのです。

チュンスクに向かって、このことは黙っていてほしいと懇願する夫婦。

しかし、盗み聞きをしていたギウたちが姿を現してしまったことで、逆にキム一家が脅される側になります。

乱闘になるキム家とグンセ夫妻。ところが、そこにパク夫人から電話がかかってきます。

大雨でキャンプ旅行は中止、パク一家は間もなく帰宅するというのでした。

グンセたちをシェルターに閉じ込め、キム家は慌てて家を片付けます。パク家の面々が寝静まった頃を見計らって、4人は家を後にするのでした。

誕生パーティーの惨劇

大雨の翌日、パク家の庭で息子ダソンの誕生パーティーが開催されます。

昨日は散々な目に遭ったギウたち4人も駆けつけ、パーティーの準備が進められます。

ギウは地下に閉じ込めたグンセ夫妻を懸念していました。密かに隠し扉を開け、地下へと下りていくギウでしたが、待ち構えていたグンセに頭を殴られてしまいます。

地上へと出てきたグンセの顔には、狂気の表情が浮かんでいました。

彼はパーティー会場に乱入し、その場にいたギジョンを包丁で刺します。

人々がパニックとなる中、パク氏は気を失った息子ダソンのことを心配し、ギテクは血を流して動かないギジョンを助けようとします。

ダソンを病院に連れていくと叫ぶパク氏に、車のキーを渡そうとするギテク。しかし、パク氏の蔑むような態度を前にして、衝動的に彼を刺し殺してしまうのでした。

事件から数週間が経ちました。殴られたギウは意識を取り戻しますが、脳に後遺症を負っていしまいます。

刺されたギジョンは帰らぬ人となり、パク氏を殺害したギテクは行方をくらませました。

執行猶予の判決を受けたギウは、母のチュンスクとともに半地下の暮らしに戻ります。

事件が起きたパク氏の豪邸には、今は別の人間が住んでいました。

そんな家を近くの山から見下ろすギウ。彼は家の明かりがモールス信号のように光っていることに気が付きます。

それはギテクからのメッセージでした。事件後、彼はずっと地下シェルターに身を潜めていたのです。

ギウはいつの日かその豪邸を購入し、父を助け出すと胸に刻むのでした。

『パラサイト 半地下の家族』のここがすごい!注目ポイント

カンヌ国際映画祭パルムドールと米アカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト』。

ここでは本作の注目ポイントを解説します。

ポン・ジュノ作品と「地下」

タイトルの「半地下」が示す通り、『パラサイト』では格差社会の象徴として「地下」と「地上」のイメージが用いられています。

このあたりの構成美は見事としか言いようがなく、裕福なパク家は階段を”上がる”シーンが強調され、貧しいキム家は階段を”下りる”シーンが強調される徹底ぶり。

劇中では「警備員一人の採用枠に500人の大卒者が集う時代」なんて言われていましたが、その通り格差の問題を浮き彫りにしてくれます。

さらに、中盤以降はもう一つの「地下」のイメージとして隠しシェルターが登場することになります。

主人公のキム家と同じ(むしろさらに貧しい)下層社会の家族が映し出されることで、物語の主題は一層複雑になるのです。

この作品が単なる「地下=貧困」と「地上=富裕」の二項対立にとどまったとすれば、ここまでの高評価を受けることはなかったはずです。

というよりも、もう一つの貧困=グンセという第三項が介入することによって、私たちが一般に考えるような二項対立は瓦解してしまいます。

キム家にせよグンセ夫妻にせよ、IT社長のパク・ドンイクを基本的に尊敬していた訳です。

見方によっては、寄生者と寄生主とはWin-Winの関係で満たされていたのであり、対立する理由はどこにもありませんでした。

火種を招いてしまったのは、寄生者同士の争い、寄生主を巡る奪い合いだったということになります。

「寄生者」ならぬ「寄生主」の映画

本作で描かれたのは「寄生者」の主人公ですが、実はポン・ジュノ監督、「寄生主」の映画も撮ったことがあります。

それが『グエムル 漢江の怪物』(2006年)。

この作品の英題が「The Host」(寄生主)である事実は、容易に見落とすべきではないように思います。

モンスターパニック映画として韓国で大ヒットを記録した『グエムル』ですが、その主題は極めて社会風刺的です。

というのも、漢江から上陸することになる巨大なモンスターは、在韓米軍による薬品の不法投棄によって生まれた存在。

このモンスターに娘を連れ去られた家族が、米軍の封鎖をかいくぐって漢江に向かう訳です。

ここでの「寄生主」が何を意味するかは明らかです。

それは在韓米軍、ひいてはアメリカであり、「寄生者」とはアメリカに従属する韓国ということになります。

物語が4人の家族を中心に置いている点や、巨大モンスターが漢江の「地下」水道を住処にしている点など、様々な意味において『グエムル』は『パラサイト』に通底しているといえるでしょう。

ジャンル映画+社会風刺

ポン・ジュノ作品の多くは。ジャンル映画的(『殺人の追憶』のサスペンスや『グエムル』のモンスターパニック、『パラサイト』のコメディなど)な基本構造を持ちながらも、そこにエッヂの効いた社会風刺を含ませていることを最大の特徴としています。

言い換えれば、大衆受けのするプロットでありながら、社会的な攻撃性を剥き出しにする訳です。

結果として、多くの観客はエンドロールを迎えた瞬間に宙吊りにされてしまいます。

「これってサスペンス映画だったよね?」や「コメディ映画だったよね?」と疑問符が浮かぶのも無理はなく、観客が予期していたものとは明らかに異なる地点へと着地しているのです。

その余韻は「ポン・ジュノ的」としか形容できないものであり、その作品が世界中で評価されている要因の一つといえます。

なぜポン・ジュノ監督は社会を見通すのか?

では、なぜポン・ジュノ監督はこのような作風へと至ったのでしょうか?

考えられる理由としては、彼が「386世代」であること、そしてオタク気質であることが挙げられます。

前者の「386世代」というのは、韓国の民主化運動を青年時代に経験した1960年代生まれの者を指します。

ポン・ジュノ監督が運動に関わっていた事実はありませんが、少なくとも同時代人と意識を共有していることは否定できません。

実際に『殺人の追憶』(2003年)は民主化を時代背景としていますし、『グエムル』(2006年)では反米デモの光景も映し出されているのです。

後者の「オタク気質」というのは、彼が漫画家を目指していたことが関係しています。

しばしば見過ごされがちなのですが、ポン・ジュノ監督は漫画家・浦沢直樹のファンであることを公言しています。

実際、デビュー作『ほえる犬が噛まない』(2000年)のシナリオを書いているときは浦沢直樹の『HAPPY!』を手に取っていたとされます。

かなり雑駁なまとめ方になってしまいますが、ポン・ジュノの社会風刺は「386世代」と関係が深く、ジャンル映画的なストーリー性は「オタク気質」によって構築されたといえるかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です