ドラマ『太陽の子』のあらすじ・キャスト紹介|見逃し配信サービスはある?

太陽の子

2020年8月15日(土)に国際共同制作特集ドラマ『太陽の子』が放送されます。

柳楽優弥さん、有村架純さん、三浦春馬さんらが出演される、戦時下の科学者の苦悩を描く青春群像劇となっています。

こちらの記事では、ドラマの紹介や見逃した場合の見逃し配信や再放送について紹介します。

ドラマ『太陽の子』の放送はいつ?見逃し配信は?

国際共同制作特集ドラマ『太陽の子』の放送日程は下記のとおりです。

ドラマ『太陽の子』放送日時

8月15日(土) 夜7時30分~8時50分(80分)

  • NHK 総合
  • NHK BS4K
  • NHK BS8K
再放送日時

8月19日(水) 夜11時40分~1時00分(80分)

  • NHK 総合
  • NHK BS4K
  • NHK BS8K

ドラマ『太陽の子』の見逃し配信について、現時点で配信予定はありません。

ドラマ『太陽の子』はどんなお話?

『核爆弾を作ってほしい』と海軍に依頼された研究員が翻弄される学生の物語

舞台は第二次世界大戦中の日本。

京都帝国大学の物理学研究室では、海軍から依頼された「核を使った新型爆弾」の研究が行われていました。つまり、原子爆弾の研究です。その中には、研究員の卵である学生・石村修の姿もありました。

そんな中、家を無くした幼馴染・朝倉世津が居候することに。戦地に赴いた弟・裕之も療養のために帰宅し、3人はささやかながら温かい日々を過ごします。

研究はなかなか思うように進まず、その中で修は「この研究は本当に正しいことなのだろうか」と疑問を持つようになっていきます。

そして1945年8月6日、アメリカの戦闘機が一発の爆弾を広島に投下しました。爆弾につけられた名前は「リトルボーイ」。歴史上はじめて落とされた原子爆弾です。この爆弾は、修たちが作ろうとしていた爆弾そのもの……。

「広島に原爆が落とされたらしい」と一報を受け、京都帝国大学の研究生たちは広島に向かいます。修たちが目にした広島の姿は……?

戦争と言う化け物は、ただまっすぐに生きようとしていた青年たちの運命を変えてしまいました。戦争の悲劇と悲しみを、原子爆弾を作ろうとしていた研究者の立場から語るドラマです。

モデルは第二次世界大戦中の『F研究』に関わった荒勝文策教授か

『太陽の子』は、第二次世界大戦中に『F研究』を行った荒勝文策教授をモデルにしたフィクションドラマと明かされています。

第二次世界大戦中の日本は、『2号研究』『F研究』という2つの原子爆弾製造計画を持っていました。唯一の被爆国である日本もまた、核爆弾を作ろうとしていた時期があったのです。

『2号研究』は陸軍が、『F研究』は海軍が、それぞれ別の研究機関に計画を依頼していました。

『太陽の子』のあらすじには「海軍からの依頼」とあるため、『F研究』の方をモデルにしたと考えて良いでしょう。『F研究』の中心にいたのが、京都帝国大学の物理博士・荒勝文策教授です。

1940年に日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんも、このF研究に参加していたことがわかっています。※京大が公開した資料により、戦後には戦争反対・核廃絶を訴えていたことも明らかになっています。

『太陽の子』は、研究者の立場から戦争の悲劇を伝えるドラマです。フィクションという形ではありますが、当時の研究者たちの苦悩・悲しみ・葛藤をドラマから学び、戦争の悲劇を伝えていきませんか。

参考資料:湯川秀樹博士の日記、京大が公開 「F研究」の記述も 朝日新聞より(2017.12.21)

構想10年~ドラマ『太陽の子』制作秘話

『太陽の子』は、脚本・演出を担当した黒崎博さんが構想に10年をかけ、制作したドラマです。

約10年前のこと、黒崎さんは仕事で訪れた広島の図書館で『広島県史』を見つけたそう。これは広島県の歴史をまとめたものですが、当時の京都大学・原子物理学にいた学生の記述が目に留まりました。

その記述は本当に何気ない日記のようなもので、当時の最先端の研究への素直な憧れ、その研究が兵器になってしまうことへの苦しみが綴られていました。そして、戦時中という苦しい状況にありながら、日々の小さな幸せに喜ぶ様子も……。

黒崎さんはこの手記と、京都帝国大学・理学部の荒勝教授の『F研究』をもとに、『神の火』というフィクションのシナリオを作り上げました。この『神の火』のタイトルを変えた作品が、今回ドラマとなった『太陽の子』です。

俳優・三浦春馬さんの遺作となった『太陽の子』

2020年7月18日、『太陽の子』に石村裕之役で出演している三浦春馬さんが亡くなりました。まだ30歳と言う若さでした。

このため、ドラマ放送後には「三浦春馬さんは7月18日にお亡くなりになりました。謹んで追悼の意を表します」というテロップが流れました。公式サイトにも「三浦春馬さんは7月18日にご逝去されました。三浦春馬さんは、役作りのために髪を刈り上げて撮影に臨み、戦時下という困難な時代にどう生きるか葛藤する若者を演じてくださいました。謹んでお悔やみ申し上げます。」という文が添えられています。

日本の原子爆弾研究にスポットを当てたドラマであること、三浦春馬さんの遺作であることから、『太陽の子』は多くの注目を集めることになります。

三浦春馬さんはは、役作りのために髪を丸坊主に刈り上げ、戦争への恐怖と仲間への想いに揺れる青年・石村裕之を熱演しています。彼の演技は、ドラマの内容と共に視聴者の胸をうち、放送後には多くの方が三浦春馬さんへのメッセージをツイートしました。

「まるで遺言」三浦春馬さんのセリフに涙

以下、ネタバレがありますのでご注意ください。

三浦春馬さん演じる石村裕之は、肺の療養のために戦場から一時帰宅をします。戦地から自宅に戻った裕之は、母を前に「今、戻って参りました」「ただいま」と笑顔を見せました。

ドラマ放送時にはもう旅立っていた三浦春馬さんが、このドラマのために戻ってきたような演出でした。また、このシーンを見た多くの視聴者は、「このドラマのように春馬くんに戻ってきてほしい」という願いを抱いたようです。

終戦直前、明るい夏の木漏れ日に照らされ、穏やかに笑う裕之のお顔が三浦春馬さんに重なりました、どうしても。

そこから、裕之を交えた石原家の日常が始まります。

戦場の悲惨な状況を知る裕之でしたが、家族の前では常に明るく振る舞い、暗い表情を見せることはありませんでした。母親のご飯を食べて「こういうの食べたかった」と語る笑顔、暗い雰囲気になると「未来の話をしよう」と前向きに語る姿……。

演技とはいえ、三浦春馬さんが美味しそうに何かを食べるところをもっともっと見たかった、未来を語る姿を見せて欲しかったと思わずにはいられません。裕之を囲む家族が「ずっとこの時間が続けばいいのに」と願うように、この笑顔をずっと見ていたかったという思いがこみ上げる場面です。

家族の前では前向きに過ごしていた裕之でしたが、彼が怖くないわけがなかったのです。とうとう兄に気持ちを吐露し、戦場に戻る恐怖と仲間を裏切れない思いを泣きながら語る裕之。慟哭する姿はそのまま、三浦春馬さんの魂の叫びのようでした。

どんなに修や世津が裕之を思っても、国の決定に逆らうことはできなかったこの時代。療養を終えた裕之は再び戦地に旅立ちます。そのときの裕之は、すでに死を覚悟した表情になっていました。歩き出した彼は、二度と振り返ることなく故郷を去り、戦地にて26歳の若い生涯を閉じます。

ドラマでは詳しく描かれませんでしたが、おそらく彼は特攻隊に選ばれたのでしょう。

戦地から届いた裕之からの手紙の最後は、「ありがとう、さようなら」。

もう二度と会うことは叶わない、眩しい笑顔の青年からのメッセージは、遺言のようでした。このセリフは、ちゃんと三浦春馬さんのお声で聴くことができます。だからこそ、彼の遺言のように思えるのです。

母親役・田中裕子さんの演技にも絶賛の声

三浦春馬さんの渾身の演技と共に、修と裕之の母親を演じた田中裕子さんにも絶賛の声が集まっています。

以下、ネタバレがありますのでご注意ください。

2人の母親・石村フミは、軍人の夫を亡くして以降2人の息子を1人で育ててきました。次男の裕之が戦場から戻ったとき、明るく振る舞う裕之の違和感に唯一気づいていた人物です。

国のためと言われても、息子を戦争に行かせたい母親などいません。戦地に戻れば、裕之は無事ではいられない……。そう知りながらも、旅立ちの朝にフミは何も言いません。ただ、思いを込めるように大き目のおにぎりを握り、その包みを裕之に渡します。

大事な息子を最後に抱きしめようと思ったのか、フミが手を伸ばします。しかしそれも躊躇われ、伸ばした手はゆっくりと裕之の耳にのび、大切そうに触れるのでした。息子の体温を覚えるように、何度も何度も撫でるフミを見て、裕之の表情も変化します。この表情の変化もまた、三浦春馬さんの演技力が発揮されている場面です。ぜひ放送で確認してみてください。

ドラマ『太陽の子』登場人物紹介

石村修/柳楽優弥

京都帝国大学の学生。原子物理学を専攻し、研究員を志し学ぶ毎日。

研究員へのあこがれは強く、研究に没頭しているとすべてを忘れてしまい、周囲に呆れられるほど。アインシュタインに憧れつつも、難しい計算はとても苦手。

以下、ネタバレです。

太平洋戦争の最中、海軍より京都帝国大学に「新型爆弾を作ってほしい」という依頼がありました。この新型爆弾とはつまり、原爆です。人を救うための科学技術で、人を殺める武器を作っていいのか。研究者たちは葛藤しながらも、新型爆弾の開発を続けていました。

新型爆弾の開発が難航する中、アメリカが広島に一発の爆弾を落としました。「リトルボーイ」と名付けられたその爆弾は、日本が開発を目指していた原子爆弾でした。知らせを受けた修たち研究者は、広島に現地入りして惨状を目の当たりにします。

石村裕之/三浦春馬

修の弟、陸軍の下士官として出兵したものの、肺の療養のために一時帰宅し、兄の修や幼馴染の世津と再会します。修と同じく、世津に片思い中。

以下、ネタバレです。

次々と人が死んでいく悲惨な戦場を観ていながら、療養で自宅に戻っても一言もその話をしません。戦況も悪化の一歩だったため、裕之はなおのこと辛い光景を目にしているはずでした。

しかし裕之は、家族の前で明るく振る舞うだけで、暗い話題になりそうなときは「未来の話をしたい」と明るく言うだけ。その不自然さ気づいていたのは、母だけでした。

裕之の肺の調子も良くなり、戦場に戻る日が近づきます。3人が乗ったバスがエンストを起こし、野宿で一夜を過ごすことになったとき、修と裕之は自然と口を開き始めます。

弟を思うあまり、戦場には戻らないでほしいと語る修。そんな修に対し裕之は、国のための研究を続けて欲しいと伝えました。

やがて夜が訪れ、3人は眠りにつきます。その中で裕之だけが目を覚まし、海に向かいます。裕之がいないことに気づき、修は後を追いかけました。裕之は、海に入って命を絶とうとしていました。

本当は戦場に帰りたくない。怖い。怖くてたまらない。でも戦地の仲間たちを思えば、自分だけ逃げるわけにはいかない……。

「怖いよお」と泣きじゃくる裕之は、それでも「自分だけ死なないわけにはいかない」と仲間を思い、揺れる心の中で葛藤していました。「生きたい」という当たり前の気持ちさえ否定されたこの時代に、裕之はたった一人で恐怖と戦い続けていたのです。

誰もが裕之を思う中、無情にも彼が戦地に戻る日がやってきました。彼はどんな風に家族と別れ、旅立ったのか。そして彼の命の行く末は……。

参考記事:Newsポストセブン「三浦春馬さん、遺作ドラマで演じた慟哭シーンと視聴者の嗚咽」

朝倉世津/有村架純

修と裕之の幼馴染。2人から密かに想いを寄せられている女性。

爆弾が落ちたときの火災を防ぐため、建物を取り壊すという「建物疎開」で自宅を無くし、石村家に居候中。軍の紡績工場で働いています。

戦争が終わった後の日本を見据えている芯の強い女性。

第二次世界大戦と原子爆弾研究が科学者にもたらした苦しみ

唯一の被爆国として、世界に各爆誕と戦争の恐ろしさを発信し続けている日本。でもその日本が、第二次世界大戦中に原子爆弾の開発を試みていたことは、あまり知られていません。

日本の原子爆弾研究開発は2つありました。

  • 大日本帝国陸軍が理化学研究所の仁科芳雄博士に依頼→2号研究
  • 大日本帝国海軍が京都帝国大学の荒勝文策博士に依頼→F研究

原爆と言う存在のもと「被害者」であった日本は、一歩間違えば「加害者」にもなり得たのです。

アメリカが落とした原子爆弾の結果は、第二次世界大戦中に原子爆弾の研究をしていた研究員に多くの衝撃を与えました。日本の価値観をひっくり返したと言われる戦争は、研究員たちにもまた「自分たちは正しかったのか」という疑問と苦しみを与えたはずです。

当時に『F研究』に関わっていた湯川博士は、広島に原爆が落とされた直後の8月7日に「新型爆弾への解説を求められた。が、断る」と語り、そのまま沈黙を貫きました。この沈黙は「反省と沈黙の日々」だったと言います。

ノーベル賞を得るほどに優秀な博士は、自分たちが作ろうとしていたものの恐ろしさにどれだけ苦しんだのでしょう。湯川博士はのちに、反戦と核廃絶を訴えるようになります。この事実はとても重いものです。

『2号研究』『F研究』共に無謀な計画だった?

多くの人が知る通り、日本は資源に乏しい国です。大戦中は食料から物資までを軍優先にしており、庶民の生活は圧迫されるばかりでした。戦争の最中には、物資不足を補うために庶民に「金属類回収令」を出したほどです。

それほど物資不足に悩まされていた日本が、ただでさえ難しい原子爆弾研究を2つに分けて行っていたというのは、無謀だったのではと考えざるを得ません。事実、核開発に必要不可欠だったウランが不足していたために、『F研究』は1945年7月に事実上の終了を迎えたとあります。

広島の原爆投下が1945年の8月6日なので、直前に研究は終了していたことになります。

自分たちが作ろうとしていた原子爆弾が、ある日空から降ってきたときの衝撃はいかばかりだったでしょうか。研究員の方々の多くは、きっと様々な感情に苦しんだに違いありません。

ドラマ視聴を視聴したあとは、ぜひ『2号研究』『F研究』についても調べてみてください。令和の時代に多くの学びをくれるドラマです。

ドラマ『太陽の子』視聴者の感想は?

科学者として核分裂を研究している石村修の葛藤が、よく伝わってくる良いドラマだと思いました。幼なじみの朝倉世津や家族との、何気ない日常と戦争の非日常が混ざり合っていて、非常時でも精一杯生活をしている様子が伝わってきました。研究室のメンバーが研究を続けることに疑問をもって衝突する場面が、矛盾する世の中への葛藤を感じて考えさせられました。日本でも核分裂の研究がされていたことについて、知ることができて勉強になったドラマで良かったです。

40代

このドラマを見る前まではアメリカだけが原子爆弾を作っていたと思っていましたが、日本も作っていたことが分かりました。自分は日本も作っていたから落とされたんじゃないかなと思いました。

たくさんの人が死んだり被害が大きかったので戦争はしてはいけないと思いました。何を考えたり思ったりして作っていたんだろうと思いました。作っているときにこんなのはダメとか思ってやめようと思わなかったのかなと思いました。平和に生活することが一番だなと思いました。

20代

終戦記念日と三浦春馬さん主演ということで、戦争を色んな視点から見ることは自分のためにもと思い、テレビをつけました。

当時核兵器の研究をしていた人がいたのも知りませんでした。戦争によって尊い命がたくさん奪われたのは事実で辛い出来事と、見ていて胸が締め付けられました。

毎年お盆の時期に戦争ものを見て今の平和さを実感したり、戦争を酷さを再確認したりします。三浦春馬さんのはかない笑顔と死の恐怖に震えるシーンなど、見ていて辛かったです。いい俳優さんでした。

40代

柳楽さん三浦さん好きな俳優さんの共演楽しみにしていました。科学者の兄 肺を患い一時帰宅した弟。お二人とも ぴったりな役柄だったと思いました。お互いに思いを寄せた幼馴染を託そうとします。せつさんはどちらが好きだったんでしょう?

京都にも原子爆弾が落ちる噂があったとは知りませんでした。日本も同じ爆弾を作ってたのもシリーズ。未投下で良かったです。戦争は駄目です。攻められても私は武器は持ちません。どうぞ殺して下さいと言います。

40代

戦争時に生きていた若者たちの苦悩を目の当たりにして、胸が苦しくなる思いがしました。

一時帰宅して、入水自殺を謀るが未遂に終わり、再び戦地へ向かう裕之が切なすぎます。裕之を見送る際に、幼い頃と同じように息子の右耳に触れる母親の行為にも、なんとも言えない哀しみの感情が湧き起こりました。大切な息子を、悔しさ悲しさを堪えて黙って見送らなければならなかった母親の心情を考えると、その気持ちは現代の私たちには理解し難いものがあると思いました。

40代

今の時期には、大切なドラマだと思います。戦争について深く考えさせられるので戦争のドラマは必要だと改めて感じました。生前の三浦春馬さんの演技はとても素晴らしかった。

このドラマは戦争の実写映像も投入されたりしてうまく融合されていて戦争の悲惨な所と人間関係や、家族関係の事など、とても良かったです。ただ、残念な所は、放送時間が短いと感じた。何回かに分けて放送すれば、もっと深い部分を掘り下げられたと思います

30代

日本にも昔から科学など色々な分野で活躍していた話はよく聞きます。まさに戦争中にもかかわらず、外国にその素晴らしい研究を発していたそうです。どんな状況下でも、科学者のその研究をつき進めていく情熱というものはよく伝わってきました。

ただ、原爆に関しては後れを取っていた訳ですが、日本が加害者にならなくて良かったとは思います。柳楽優弥さんの演技はとても良かったです。科学者の情熱と葛藤などを、そこに自然に本当に生きているかのような演技で惹きつけられました。

50代

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です