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目次
『人生最高レストラン』の見逃し動画を無料で見る
『人生最高レストラン』過去放送回の番組内容を紹介
2021年1月9日放送回 ゲスト:上白石萌音
ゲストは、上白石萌音さん。
第7回「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞して芸能界入り。映画「舞妓はレディ」で初主演、大ヒットアニメ映画「君の名は。」で声優、さらに歌手としても活躍。そして昨年は、大ヒットドラマ「恋はつづくよどこまでも」で大ブレイク!今年も快進撃間違いなし!上白石さんのピュアな素顔と魅力の裏には、素敵な出会いと、おいしいものの存在があった。
■お品書き
鹿児島市「今すぐ帰って食べたい“ラーメン”」
『まだ出張で東京に来てる感覚。毎週でも帰りたい』と語る上白石さんが愛してやまない故郷、鹿児島。そこに、上白石さんが8歳の頃から通うラーメン店がある。鹿児島市の繁華街から車で約20分のところにある、「五郎家」本店。実はここ、「鹿児島ラーメン王決定戦」で2度グランプリに輝いた名店。上白石さんのオススメは、「旨みそラーメン」。茹でた麺に茹でキャベツをのせ、鹿児島県産の赤味噌と白味噌をブレンドした味付けで炒めた野菜たっぷりスープをかけた一杯。
上白石さんが8歳の時―父の赴任先メキシコへ旅立つ日に、鹿児島での最後のお昼ごはんに偶然立ち寄って初めて食べた「五郎家」のラーメン。その時、メキシコ行きのことを店主の竹田さんに話したところ、「これを持って行きな」と、「五目おにぎり」家族4人分を持たせてくれたという。
そして帰国後、よく訪ねるようになり、家族ぐるみの付き合いに。上白石さんにとって、今では鹿児島に帰ると必ず足を運ぶ大切なお店となっている。一方、上白石さんが小学生の頃に書いた手紙を今も大事に持っている竹田さんも、昔と変わらない上白石さんを妹のように思い、鹿児島の地から活躍を見守っている。
*店舗情報:「五郎家」鹿児島県鹿児島市山田町3448-5
熊本・南阿蘇「人生最高の“朝食”」
上白石さんが家族旅行でよく行くという、熊本県南阿蘇村にあるペンション「森のキッチン山小屋Holahoo」。ここも上白石さんにとって、小学生の頃からの思い出が詰まった実家のような場所。自慢のディナーは、薪火で調理する創作料理。じっくりと焼き上げ、薪火ならではの香りがアクセントとなったお肉料理「阿蘇あか牛 1カ月熟成モモ肉の薪火焼き」や「大地のめぐみポークの薪火焼き」など、熊本県産の食材をふんだんに使った「フレンチフルコース」は絶品。
さらに、コース料理とは別に注文する「切り立て生ハム ハモンセラーノ」もオススメ。大人になってお酒が飲めるようになった上白石さんは、ワインと合わせて食べるのがお気に入りだそうです。
そして何より、上白石さんが最高だというのが、朝食。天然酵母パンをくり抜き、じゃがいものスープを入れたスープパンをいただける「阿蘇のおいしいを詰め込んだ スープパンプレート」。上白石さんにとって、いつか素敵な男性と一緒に食べたい…“人生最高の朝食”だという。
*店舗情報:「森のキッチン山小屋Holahoo」 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽4635-6
東京・中野坂上「青春のすべてが詰まった“オムライス”」
オーディションで800人を超える中から、映画「舞妓はレディ」の主演に抜擢された上白石さん。それを機に高校1年で上京。芸能コースのある学校ではなく普通高校に通いながら、本格的に女優の道へと進み始めた上白石さんの高校時代の思い出が詰まったお店が、中野坂上にある「FRANKY & TRINITY」。試験が終わった後など、ご褒美に友達とよく食べていたのが「ドルフィンオムライス」。ベーコンと玉ねぎのケチャップライスにのった、ふわふわトロトロの卵がたまらない一品。
*店舗情報:「FRANKY & TRINITY」東京都中野区中央1丁目33-7山田ビルB1
メキシコシティ「私を救ってくれた…メキシコの“人生最高の一品”」
上白石萌音さんの“人生最高の一品”は、メキシコ料理の「ソパデトルティージャ」。8歳の時、教師の父が現地の日本人学校へ赴任するのに伴い、メキシコへと渡った上白石さん。実は、メキシコへ行く前に通っていた小学校で上白石さんは友達関係がうまくいかず悩んでいたという。登校はするものの、クラスに馴染めず、保健室で過ごす日々…どんどん塞ぎこんでしまっていた頃にメキシコへ。環境もガラリと変わり、“太陽の国”メキシコで陽気な人たちと接し、「ケセラセラ(なるようになる)」という考え方に触れたことで、塞ぎかけていた上白石さんの心はどんどん開いていった。『本当に楽しかった』という3年間のメキシコ生活を経て再び同じ小学校に戻った上白石さんは、みんなに『別人みたい』と言われたという。
帰国後、友達関係もうまくいって楽しい小学校生活を過ごせたのは、メキシコで過ごした3年間のおかげ。『メキシコが私の人生を救ってくれた』と語る上白石さんにとって忘れられない料理が、「ソパデトルティージャ」だった。その料理を家族みんなでよく食べに行ったのが、3年間過ごした街・メキシコシティにあるタコス店「El Rincon de la Lechua(エル リンコン デ ラ レチューサ)」。
「ソパデトルティージャ」は、細長くカットしたトルティージャを油で揚げた後、ゴーダチーズ、アボカドをのせ、玉ねぎ・にんにく・ししとうを具材にしたトマトソースベースのスープをかけた一杯。帰国後、いろいろなメキシコ料理店で同じ料理を食べてみた上白石さんだが、やはり本場の味にはかなわないという。
*店舗情報:「El Rincon de la Lechua」Av Miguel Ángel de Quevedo 34, Agrícola, Chimalistac, Álvaro Obregón, 01050 Ciudad de México, CDMX, メキシコ
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2020年12月26日放送回 ゲスト:常盤貴子
ゲストは、常盤貴子さん。女優として、「愛してくると言ってくれ」「ビューティフルライフ」といった最高視聴率40%超え大ヒットドラマのヒロイン役を演じてきた“ドラマの女王”が意外な素顔を見せながら、「女優人生」と「おいしいもの」を語った。
■お品書き
東京・渋谷「旅の気分が味わえる“イタリアン”」
JR渋谷駅から代官山方面へ徒歩約7分、渋谷の喧騒から離れた住宅地に佇む「Pinosalice(ピノサリーチェ)」。2004年に女性シェフと女性菓子職人が始めた南イタリア専門のトラットリアで、常盤さん曰く『東京にいながらイタリア気分を味わえる』お店。夫の長塚圭史さんとイタリア旅行から帰国後、イタリアにあるようなお店を探していた中、出会ったという。常盤さんが一番好きなのは、「レモンのリゾット 生ハム添え」。ライスに生ハム、生クリーム、塩、粉チーズ(グラナパダーノ)、削ったレモンの皮を加えてフライパンで炒め、最後に生ハムを添えた一品。濃厚さと爽やかさが絶妙にマッチしたおいしさ。料理に合わせたソムリエおすすめの南イタリア産ワインと一緒に食事を楽しんだ後はいつも、スキップして帰りたくなるほど上機嫌になるという常盤さんであった。
*店舗情報:「Pinosalice(ピノサリーチェ)」東京都渋谷区鶯谷町15-10ロイヤルパレス102
神奈川・綱島「ガラス越しに憧れた“純喫茶”」
喫茶店が大好きな常盤さん。小学生の頃、父に初めて連れて行ってもらって以来、喫茶店の雰囲気に魅せられてしまったという。ただ、小中学生の頃は一人で喫茶店に入ることはできないので、街で喫茶店を見かけるとガラス扉にへばりついて中を覗き込み、『いつか行きたい』と思いを馳せるだけの日々だったそう。そんな常盤さんが高校生になてからよく通っていたのが、綱島にある純喫茶風の「オークラ珈琲館」。1978年創業、40年以上も地元の人々から愛され続ける「オークラ珈琲館」は、常盤さんが喫茶店選びのポイントだという長居のできる落ち着いた雰囲気のお店。常連になっている喫茶店には、常盤さんはよく本を小脇に抱えて行き、『席に着いたらテーブルに本をボンと置き、私は今日これを読みます!長居します』と意思表示するのだとか。もちろん、そんな時はコーヒーを飲み、食事もして、さらにコーヒーをおかわりしてデザートも食べて、数時間を過ごすという。「オークラ珈琲館」で常盤さんがよく飲んでいたのは、「ブレンドコーヒー」。コーヒー好きというのもあり、初めての喫茶店では必ず「ブレンドコーヒー」を頼む常盤さんにとって、コーヒーの美味しさはもちろん重要ポイント。「オークラ珈琲館」は、注文が入ってから豆を挽き、サイフォン式で抽出するこだわりのコーヒー。粉を水に浸けて抽出するサイフォン式は、コーヒー豆の味が濃く、香りが高いの特徴。
駆け出しの頃、オーディションに参加してはうまくいかなかった時など、近くの喫茶店に行って一人反省会をしていたという常盤さん。常盤さんにとって、喫茶店はただ好きなだけでなく、女優人生の歩みと共に存在する大切な場所であった。
*店舗情報:「オークラ珈琲館」 神奈川県横浜市港北区綱島西1-8-3牛山ビル1F
広島・尾道「尊敬する大監督と食べた“ワッフル”」(人生最高の一品)
常盤貴子さんの“人生最高の一品”は、「茶房こもん」の「ワッフル」。それは、常盤さんが尊敬する映画監督の大林宣彦さんと一緒に食べた思い出の一品。女優を目指した頃から大林監督の大ファンだったという常盤さん。尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)をはじめ、大林監督の作品によく出てきていた喫茶店が広島県尾道市にある「茶房こもん」だった。大ファンの大林監督…そして大林監督作品を観てずっと憧れていた「茶房こもん」…。ただ、1991年のデビューから女優として第一線で活躍するようになっても、なかなか憧れの存在との接点はなかった。しかし、運命の出会いは突然訪れる。それは2010年、デビューから21年目のこと。前年の大河ドラマ「天地人」に出演した関係で行った新潟県長岡市の花火大会で、常盤さんは映画の撮影で訪れていた大林監督と初めて顔を合わせたのだった。その時、長年の思いが募った常盤さんはこの場を逃してはいけないと『監督の大ファンなんです』と伝えたところ、大林監督から『知ってるよ』という思わぬ言葉が。実は、常盤さんがデビュー当時に受けた映画誌の取材で『今後やってみたい監督は、黒澤明監督と大林宣彦監督です』と答えた記事を大林監督は読んで覚えていてくれたのだった。そして、大林監督から『いつか一緒に映画やろうね』と嬉しい言葉をもらった常盤さんに、その翌年の夏、実際に出演オファーが届き、念願の大林監督作品に出演することに(映画「野のなななのか」)。その後も、「花筐/HANAGATAMI」、遺作となった「海辺の映画館—キネマの玉手箱」と計3作品に出演。大林監督とは仕事だけでなく、プライベートでも親交を深め、公私ともにお世話になったという常盤さんにとって、「茶房こもん」は大林監督との忘れられない思い出のお店となった。常盤さんオススメは、パリッと焼き上げた生地に生クリーム、ブルーベリー、バターをのせた「バターワッフル(プレーン)」。『日本でこんなワッフルを食べたことない』『罪悪感もなく、いくらでも食べられる』というほどのおいしさだという。
*店舗情報:「茶房こもん」広島県尾道市長江1-2-2
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2020年12月19日放送回 ゲスト:かまいたち(山内健司・濱家隆一)
ゲストは、かまいたちの二人、山内健司さんと濱家隆一さん。今年は、初の地上波レギュラー冠番組がスタート、そして番組出演本数は250本以上!今ノリにノッている実力派お笑いコンビがお互いのはずかしい過去を暴露し合い、芸人人生を振り返りながら、“大阪の安くてうまい”普段着グルメを紹介。
■お品書き
大阪・南久宝寺町「食通・濱家を虜にした“スパイスカレー”」
グルメな濱家さんが一番ハマっている料理が、スパイスカレー。自宅でスパイスカレーを手作りし、大阪時代の住まいは1年中カレーの匂いが充満していたそう。さらに、スパイスカレー店を巡ったり、スパイスカレー店の人たちが集う飲み会に参加するほどで、ハンパない熱の入れよう。そんな濱家さんがスパイスカレーに出会ったお店であり、“No.1のスパイスカレー”と大絶賛するのが、大阪・南久宝寺町にある「創作カレー ツキノワ」。雑居ビルの2階にある、カウンターだけのお店。濱家さんを虜にした「創作カレー ツキノワ」のスパイスカレーは、スパイス(クミン)に漬け込んだ後さらに煮込んだ具材に、昆布・鰹・いりこがベースの和風出汁スープ、15種類のスパイス、隠し味の麹味噌を加えた一皿。濱家さんがいつも注文するのは、キーマカレーをトッピングで追加した「チキンカレー ミニキーマトッピング」。スパイスと和風出汁のマッチングが最高で、初めて食べた時にはあまりの美味しさに衝撃を受け、その後1週間毎日食べに行ったという。
異常なまでにスパイスカレーにハマる濱家さんを見て、辛いものが苦手な山内さんだったが、お店に1回食べに行ったところ、『めちゃくちゃおいしい』と感動。ある時、仕事の空き時間に一人で食べに行ったら、濱家さんと遭遇。その時は、お互いちょっと恥ずかしい気持ちになったという
*店舗情報:「創作カレー ツキノワ」大阪府大阪市中央区南久宝寺町1丁目1-3KT船場ビル2F
大阪・福島「山内ファンが集まるほど通いつめた“鶏丸鍋”」
大阪・福島にある「フジヤマドラゴン」。当初、同期芸人の弟が店長を務めていたこともあり、最初は『どんなお店だろう?』と軽い思いで行ってみたところ、めちゃくちゃ美味しかったので常連客になったという山内さん。今でも、大阪で泊まりの仕事がある時は必ず足を運ぶという大好きなお店。ここで山内さんがいつも食べるお気に入り料理の数々がある。「メガ鶏ステーキ」「フジヤマアフロ」「ツナ韓チーズ大」「手羽の唐揚げ」「ドラゴンホットポテサラ」「とり天むすび」「生キムチ」など。これらを山内さんは自ら「山内コース」と命名。ファンの間では、山内さんがこの店の常連客であることは有名で、山内さんはファンに対し『山内コースと言えばわかるから』『僕と同じものが出てきて食べられるよ』と公言。しかし、そんなことを一切聞いてないお店側は、来店したファンが『山内コース』を口にした時、何のことかサッパリ理解できず戸惑ったという。
そんな自称「山内コース」のメイン料理は、「鶏丸鍋クラッシュ」。山内さんの一番大好きな料理でその名の通り、鶏を丸ごと一羽使った鍋。水炊きした鶏を特製鶏白湯スープ(鶏ガラ・手羽ガラ・昆布・しいたけ・ニンニクを長時間煮込んだもの)で煮込む一品。ハサミで切り分けた鶏肉をニンニク醤油にお酢を混ぜたタレにつけていただく。
最後は、濃厚スープに乾麺を入れて食べるシメも激ウマでたまらないという。
*店舗情報:「フジヤマドラゴン」大阪府大阪市福島区福島6丁目11-13
大阪・心斎橋「稼げなかった若手時代を支えてもらった“地鶏鍋”」(人生最高の一品)
かまいたちの二人が選んだ〝人生最高の一品″は「地鶏鍋」。それは、二人が駆け出しの頃からずっとお世話になっているお店、大阪・心斎橋にある居酒屋「地鶏亭」の一品。当時出演していた劇場「baseよしもと」の近くにあり、ライブ終わりに同期芸人とよく打ち上げで利用していた二人。一番の忘れられない思い出は、全く稼げない若手時代の自分たちに、どれだけ食べて飲んでも最後に『1人1,000円ね』と言ってくれた女将さんの優しさだという。「地鶏鍋」は、敷き詰めたキャベツの上に九州産の地鶏、あげ、ニラをのせ、秘伝の出汁(鶏ガラと根菜類を10時間以上煮込んだもの)を加えて煮込む。シメは、ちゃんぽん麺。女将さんの優しさとこの絶品鍋は、人気者となっても二人の芸人人生に深く刻まれている。
*店舗情報:「地鶏亭」大阪府大阪市中央区東心斎橋2丁目-7-4日宝笠屋町ビル1F
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2020年12月12日放送回 ゲスト:霜降り明星(粗品、せいや)
ゲストは、霜降り明星の二人、粗品さん、せいやさん。M-1グランプリ2018優勝、R-1ぐらんぷり2019優勝に輝き、史上初の2冠を達成!しかも史上最年少優勝記録も持つ、お笑い第7世代のトップランナーが、おいしい思い出メシと共に2人の出会いから、20歳でのコンビ結成、そして知られざる解散危機㊙話、超人気者に駆け上るまでの芸人人生を語った。
■お品書き
大阪・東大阪市「行列してまで食べた!思い出の“丼”」
高校時代、お互い別々のコンビで出場した「ハイスクールマンザイ」で初めて出会った二人。その後、粗品さんは大学1年の時に吉本興業のオーディションに合格し、ピン芸人として早くから活躍。一方、せいやさんは芸人ではなく教師を目指し、近畿大学に進学。当初、二人は別々の道を歩んでいた。そんな中、せいやさんには大学時代の思い出メシがある。それが、東大阪市にある近畿大学の西門から歩いてすぐ、鉄板で炒めた本格的かつボリューム満点の肉料理が大人気の行列店「味店 焼マン」のどんぶり弁当。
せいやさんオススメは、「鳥塩レモン丼」。鶏モモ肉を8種類の香辛料と塩を調合した自家製調味料で炒め、レモンとマヨネーズを添えた丼メシ。『これは、他では食べられない』と豪語するほどのおいしさだという。
実際、近大生の人気No.1メニューで、せいやさんは通っていた学部からはお店が遠かったため、授業が終わって急いで駆けつけても売り切れになっていることが多く、「鳥塩レモン丼」は3カ月に1回しか食べられなかったそうで、食べたくても食べられない悔しさも入り混じった忘れられない思い出の弁当である。
「味店 焼マン」のどんぶり弁当を食べながら教師を目指していたせいやさんに対し、粗品さんは『一緒にコンビ組んで漫才やろう』と、出会って以来ずっとラブコールを送り続けていた。そして遂に2013年1月、霜降り明星を結成。
ピン芸人として既に活躍していた粗品さんだったが、『他の誰よりも、せいやが一番面白かったから』と、その理由を語った。せいやさんの才能を見抜き、ラブコールを送り続けた粗品さんの情熱があったからこそ、現在の霜降り明星があると言っても過言ではない。
*店舗情報:「味店 焼マン」大阪府東大阪市小若江2-2-7
大阪・千日前「人生の恩人が作る“かまぼこ”」
粗品さんの思い出メシは、大阪の千日前、なんばグランド花月の近くにある「ハチマル蒲鉾」。ここは、粗品さんが27年の人生で一番お世話になったという先輩・河内慎太郎さんが経営するお店。河内さんは元芸人で、粗品さんがお笑いのノウハウを教えてもらった唯一の先輩芸人であった。そんな粗品さんにとって恩人とも言える河内さんが、芸人を辞めて2年間の修業の後、オープンしたのが揚げかまぼこ専門店「ハチマル蒲鉾」だった。お店でタラのすり身を練り、注文が入ってから揚げるというこだわりで、ホカホカの揚げたてかまぼこが味わえる。「かまぼこ」のメニューは、全43種類。一番人気は、切ると中からとろりとチーズが溢れる「のび~るモッツァレラ」。
そして、中に半熟卵が入った「ウッフド・ロワイヤル」も大人気。一品ずつ注文でき、ナイフとフォークでいただく揚げたてのかまぼこは、ビールなどお酒と相性抜群。
揚げかまぼこの他にも魅力的なメニューがある。中でも粗品さんが大好きなのが「しめの一口蒲鉾そうめん」。すり身でできた麺をツルツルっといただける、まさにシメにピッタリな一品。
人生の恩人とも言える河内さんのお店だからというわけでなく、二人の思い出が相まって味わえる「かまぼこ」は、粗品さんにとっては単なるおいしさを超える特別な味であった。
*店舗情報:「ハチマル蒲鉾 なんば千日前店」大阪府大阪市中央区千日前2丁目3-33
大阪・住道「初めて二人で飲んだ“ソルティ・ドッグ”」(人生最高の一品)
霜降り明星の二人が選んだ“人生最高の一品”は、「ソルティ・ドッグ」。それは、せいやさんが20歳になった粗品さんを誘って初めて二人で一緒に飲んだお店、大阪・大東市にある居酒屋「酔虎伝」でのこと。“お笑いで天下を獲る”という夢を抱き、ネタ合わせをしながら飲んだのが、粗品さんにとって人生初めてのお酒「ソルティ・ドッグ」だった。選んだ理由は、『ただメニューを見てカッコよかったから』なんだとか。このお店には、もう1つ忘れられない思い出がある。“お笑いで天下を獲る”という夢を抱き、2013年にコンビを結成した二人だったが、結成3年目に解散の危機が訪れる。大学へ通いながら芸人として活動していたせいやさんは卒業を前に就活するのかという選択に、一方の粗品さんは実家の焼き肉店を継ぐかという問題に、それぞれ悩み、『お笑いで早く結果を』とあせっていたという。
そして、覚悟を決めて迎えた結成3年目、2015年M1グランプリ…しかし結果は3回戦敗退。後日、「酔虎伝」に行った二人は、わんわん泣きながら『もう解散や。やめよう』と決めたという。しかし飲み続ける中、悔しさからふとあることを思いつく。『最後に、1回だけボケとツッコミを変えてやってみよう』と。
そうして、ボケのせいやさんがツッコミ、ツッコミの粗品さんがボケと役割を逆転し、3カ月ほど悪あがきをしてみたところ、全くウケず、更にどん底に陥ってしまったという。
すると、この悪あがきが意外にも転機となり、本来のお互いの役割、ノウハウ、そして良さをあらためて知ることができたというのだ。「酔虎伝」でネタ合わせしながら幾度となく飲み明かした夜が、そして泣きながら解散を決めたアノ夜があったからこそ、今こうして第7世代のトップランナーとして活躍しているのだ。
*店舗情報:「酔虎伝 住道駅前店」大阪府大東市赤井1-3-18
30代
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ゲストは、東山紀之さん。今年、デビュー35周年を迎え、ジャニーズ事務所の後輩たちから“兄貴”と慕われる東山さん。ジャニーズ入りからトップアイドル、そして時代劇をはじめ俳優としても常にトップを走り続けてきた人生を、忘れられない思い出が詰まった京都のおいしいお話と共に語った。
■お品書き
京都・西院「後輩たちを必ず連れて行く!絶品鍋」
東山紀之さんが時代劇の撮影で半年近くも滞在することもあるという京都。そこには、東山さんが大好きなお店がいくつもある。その1つが、鍋料理の老舗「一心」。ここの鍋を食べると元気になるといい、大好きだという東山さんはTOKIOをはじめ、V6など事務所の後輩たちを必ず連れて行くそう。お店の看板料理は何といっても、創業以来のオリジナルメニュー「一心鍋」。一風変わった鍋料理で、中央が窪んだお鍋部分で、周辺の縁がお皿のように平らになった特注の鍋を使用し、縁に置かれた野菜を中央に落として敷き詰め、上質なロース肉をのせて炊く。ジュウジュウといい香りが立つと食べ頃で、見た目よりあっさりとした出汁と醤油のコクが野菜と肉の旨味を引き出した一品。豆腐やホルモンなど好みで追加できる。つけダレも絶妙で、プッコチュ(青唐辛子のきざみ)、柚子胡椒でお好みの風味に。野菜と肉を食べ終わったら残った出汁に、豆腐、うどん、お餅を入れて、またおじやにして、格別のシメを楽しむのがオススメ。これを食べたいがために、わざわざ京都に足を運びたくなる美味しさだという。
*店舗情報:「一心 京都西院店」京都市右京区西院北矢掛町36-25
京都・祇園「時代劇の師と仰ぐ…名優との思い出のステーキ」
東山さんの忘れられない思い出が詰まった京都グルメ。2品目は、松方弘樹さんとの思い出のお店「ステーキハウス新吾」。東山さんにとって初の時代劇だったドラマ「新撰組」(1987年放送)で共演して以来、本格的に時代劇に導いてくれ、『ヒガシの出演作なら』とキャスティングなど裏でプロデュースしてくれたという松方さん。そして今や、数々の時代劇で主演を務めるようになった東山さんが、“時代劇の師”と仰ぐ松方さんと、京都でいつも一緒に食事をしたのが「ステーキハウス新吾」だった。東山さんが松方さんにごちそうになったのは、最高級ブランド京都牛と近江牛を使用したステーキ。中でも希少とされる雌牛3〜4歳のシャトーブリアンで、たまり醤油とバターのソースでいただく一品。松方さんが亡くなってから、思い出が深すぎるがために足が遠のいていたというが、久しぶりに行ってみたいと東山さんは語った。
*店舗情報:「ステーキハウス新吾」京都府京都市東山区新門前通大和大路東入西之町232-6
京都・祇園「父のように慕う津川雅彦さんとの思い出が染みた…おでん」(人生最高の一品)
東山紀之さんの“人生最高の一品”は、「おでん」。それは、父のように慕う名優・津川雅彦さんとの思い出が詰まった一品。「大岡越前」で長年に渡り、東山さん演じる大岡越前守忠相の父親役を務めた津川さんとは、私生活でも父子のような関係だったそう。そして、京都で撮影があると必ず連れて行ってもらったのが、おでん専門店「おいと」。一見さんお断りで完全予約制のここは、勝慎太郎さんをはじめ多くのスターたちが愛した名店。あまりお酒を飲まない津川さんも、このお店では梅酒を飲みながら東山さんに人生や演技について熱く語ってくれたという。何十年も継ぎ足した鰹と昆布の出汁で煮込んだ「おでん」は、言葉を失うほど絶品。東山さんオススメは、味の沁みた「大根」に3日間煮込んだ「牛すじ煮込み」を合わせた一品。また、珍しい「しゅうまい」もあり、それまで食わず嫌いだった津川さんも東山さんが食べているのを見て、初めて食べたその日に8個も平らげたという。そして、東山さん一番のお気に入りが「たまご」。それは、まるで100年煮込んだかのように真っ黒な色をしていることから、「百年たまご」とも呼ばれる一品。東山さんも『たまごじゃないみたい…』としか表現できない美味しさなんだとか。
*店舗情報:「おいと」京都府京都市東山区祇園町北側253
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2020年11月28日放送回 ゲスト:市川猿之助
ゲストは、四代目市川猿之助さん。歌舞伎俳優として立役も女形も幅広く演じ、また「スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』」など歌舞伎界の常識を覆し新たなカタチを作り続けている猿之助さん。
活躍の場は歌舞伎だけに止まらず、今年は大ヒットドラマ「半沢直樹」で適役・伊佐山部長を怪演。『詫びろ!詫びろ!!詫びろ!!!』の迫力ある名台詞シーンは大きな反響を呼んだ。そんな猿之助さんが歌舞伎人生と共に、期待通り超豪華な“おいしいもの”のお話を語った。
■お品書き
京都・嵐山「大人の振る舞いを教えてくれた“日本料理”」
市川猿之助さんが子どもの頃に行った、忘れられないお店がある。それは、京都の嵐山にある「京都吉兆」。「京都吉兆」と言えば、食通なら誰もが憧れる日本料理の名店。父である四代目市川段四郎さんの知人に招かれたとはいえ、「吉兆」初体験が小学校低学年というのは驚きだ。仲居さんや舞妓さんに遊んでもらったことと共に、猿之助さんの記憶に蘇るのが、味もわからずに食べた…ある料理。猿之助さん曰く、『瓢箪をくり抜いた器に入っていた』というが、実は瓢箪と思っていたのは冬瓜だった。その料理は、「冬瓜のけんちん」。半分に切って真ん中をくり抜いた冬瓜に、手羽先・手羽元・鰹を使い伝統的な技法で作った、うま味の深い鶏汐出汁を注ぎ、さらに具入りの餡かけを入れる。そして、焼いたうなぎを添えた一品。どう見ても子どもが美味しいと食べるものではないが、当時の猿之助さんが興味津々だったのは料理ではなく、冬瓜の器。見たことのない“瓢箪のような”器をおもちゃにして遊びたくて仕方ない少年時代の猿之助さんであった。
「吉兆」といえば、鯛茶漬け。鯛の刺身にごまだれをかける「御鯛茶」は、創業以来多くのお客に親しまれる人気料理の一つ。
さらに、猿之助さんの記憶に残る料理が「松茸 座敷焼き」。炭火網にのせた松茸に奉書紙を被せ、水を吹きかけながら蒸し焼きにする一品。目の前に山のように盛られた松茸を鮮明に覚えているという。
子どもの頃から、高級料理店で豪華な料理を味わっていた猿之助さんだが、ただ高級料理を食べた記憶が残っているわけではない。女将さんから「畳の縁は踏んではいけない」「握り箸はいけない」など所作やマナーを教えてもらい、それが自然と身に付いていることに感謝しているという。
*店舗情報:「京都吉兆」京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58
京都・西陣「医者も驚く!奇跡の“スッポン”」
伯父の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)が始めたスーパー歌舞伎シリーズ。それを「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)」として継承したのが、四代目となる猿之助さん。その第2作として、2015年から2018年まで公演したのが話題作「スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』」だった。演出も手掛け、座頭として精力的に舞台に立っていた猿之助さんだったが、2017年の公演で思わぬ事故に遭う。本番中に舞台装置に衣装が巻き込まれ、左腕を骨折して全治3カ月の重傷。一歩間違えれば大量出血で命も落としかねない事故だった。幸いにも、観劇していた整形外科医がすぐに駆け付けて応急処置を施し、その後の迅速な対応により一大事には至らなかったものの、左腕は長時間挟まれていたため皮膚が壊死していく可能性があったという。医師からは、臀部からの皮膚移植が必要と言われていたそう。しかし、そんな状況でも猿之助さんは超ポジティブ。『皮膚移植やりたくないな。皮膚にいいものは、フカヒレ、ツバメの巣、すっぽんだな』と考え、入院当日の夜から毎日『皮膚のために贅沢させてくれ』と頼み込み、「すっぽん」「フカヒレ」を差し入れしてもらい食べ続けたという。中でも毎日飲んでいたのが、京都・西陣にある「大市」の「すっぽんスープ」だった。創業340年以上、江戸の元禄時代から受け継がれてきた伝統の味を提供する「すっぽん料理」の専門店「大市」。コークスを使った1600℃という高温で一気に加熱する「すっぽん鍋」は、とにかくスープが絶品。具材は、すっぽんのみ。味付けは、秘伝の醤油、特注の酒、生姜だけで、余計なものは入っていない本物の美味しさを追求した一品。ちなみにシメは、絶品スープに米と餅を入れ、卵で閉じた雑炊。何杯もおかわりしたくなる美味しさだという。
そんな「大市」の「すっぽんスープ」をお取り寄せして毎日飲み続けた猿之助さんに、奇跡が起こる。左腕を診察した医師から、『皮膚が再生してきている。移植しなくていい』という思わぬ言葉が出たのだ。そして、医師としての見解ではなく個人的見解と断った上で、こう言ったという。『おそらく、すっぽんなど食べられていた物が皮膚を再生したんだと思います』。“医食同源”を信じ、日頃から食を大切にして健康でいようとしている猿之助さんだが、何より『皮膚を治したい』というポジティブな考え方が奇跡を起こしたのかもしれない。
*店舗情報:「大市」京都市上京区下長者町通千本西入ル六番町
神奈川・横浜「親友ゆず北川悠仁と飲んだ“バーのカクテル”」(人生最高の一品)
市川猿之助さんの“人生最高の一品”は、親友の北川悠仁さん(ゆず)と飲んだ「バーのカクテル」。親友と2人きりでお酒を飲んだのは、猿之助さんが珍しく悩みを抱えていた時。実は、スーパー歌舞伎で「ワンピース」をやる話が来た時、『あの大ヒットマンガの世界をどうやって歌舞伎にすればいいのか…まったく成功する気がしない』と、不安で仕方なかったという猿之助さん。当時、誰にも相談せず一人悩んでいた猿之助さんだったが、食事の席で元気がないことを北川さんに指摘され、親友だけに悩みを告白する。すると、北川さんは『じゃあ、一杯飲みに行こう』と猿之助さんを飲みに誘ったという。連れて行ってくれたのは、横浜の「バスBAR」だった。古くなったバスを改装したオシャレな車内から月と海、赤レンガ倉庫を眺めながら、大好きなブラッディ・マリーを飲んで親友と語り合った猿之助さん。『どうすればいいか分からないから、力貸してよ』と珍しく弱音を吐く猿之助さんに対し、北川さんは『わかった。じゃあ曲を書く』と言ってくれたという。そうして誕生したのが、ゆずの名曲「TETOTE」だった。後日、稽古場に届いたデモ曲を聴いた猿之助さんは、それまで悩んでいた気持ちが晴れ、『自分たちが思う方向性でいいんだ』と共演者、スタッフ全員が一致団結できたという。親友の北川さんとブラッディ・マリーを飲みながら過ごしたあの夜は、猿之助さんにとって忘れられない夜となった。横浜にあった「バスBAR」は、2018年3月に閉店。しかしその後、「バスBARを残したい」という人たちが立ち上がり、クラウドファンディングで支援を募り、現在は新しいオーナーのもと、静岡県の海が見える場所で営業を続けている。
*店舗情報:非公表
30代
30代
2020年11月21日放送回 ゲスト:勝地涼
ゲストは、勝地涼さん。二枚目からコメディまで様々なキャラクターを演じ、その圧倒的な存在感で今や、ドラマ、映画、そして舞台で欠かせない実力派俳優として活躍。特に、朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で演じた“前髪クネ男”は、強烈なインパクトを残した。そんな勝地さんがちょっとヤンチャだけど、かわいくて憎めない素顔を見せながら、21年の俳優人生と共に“おいしいもの”のお話を語った。
■お品書き東京・池尻大橋「週7で食べたいほど愛おしい“つけめん”」
『ラーメンを食べる人の気持ちがよくわからない』『俳優じゃなかったら、週7で食べたい』というほど、勝地さんが世の中で一番愛してやまない料理「つけめん」。スタジオでは、“つけめん愛”が溢れすぎて、ラーメン派だという北海道出身のMC加藤浩次さんと、ちょっとしたバトルに…。そんな勝地さんイチオシの「つけめん」を味わえるのが、東京・池尻大橋にある「麺屋 和利道」。勝地さんが『一杯のために、お店の企業努力を感じる』という「つけめん」は、ドロドロで超濃厚なスープが一番の特徴。それは、1度下茹でした大量の豚骨と鶏ガラを1つずつ丁寧に洗い、1日以上炊き続けて濃厚なスープを抽出。そこに、香味野菜、昆布、椎茸出汁、魚介スープを加え、さらに煮込んで出来あがる“濃厚魚介豚骨スープ”。ただ、これで完成ではない。このスープに醤油タレ、煮干し油、カツオ魚粉、ゆず、三温糖を混ぜ合わせ、ようやくお客の前に出すスープとして完成する。そして、スープに合わせた特注の麺。VTR映像で麺を見た瞬間、『美しい』と思わず感嘆した勝地さんは、まず麺をスープにつけずそのまま味わうそう。最初に小麦粉の香りを楽しんだ後、旨味の凝縮した超濃厚なスープに麺を絡めて味わうのが、たまらない至福の時だという。
実は、勝地さんはこのお店で写真週刊誌に撮られたことがあった。それは決してスキャンダルなどではなく、開店と同時にお店に飛び込んできた勝地さんをたまたま見つけた記者が『おもしろいから撮っておこう』と撮影した写真。つけめんを愛してやまない勝地さんの、ちょっと恥ずかしいエピソードだった。
*店舗情報:「麺屋 和利道」東京都目黒区青葉台3丁目7-10 Cross One 1F
東京・下北沢「俳優人生としての生き方を教わった“焼き鳥”」
ジャニーズに憧れて…実際にジャニーズJr.に応募するも落選。アイドルの夢破れた勝地さんだったが、中学1年の時、母が経営する花屋さんで堂本光一さん(Kinki Kids)主演のドラマ撮影があり、ナントそこでスカウトされることに。しかし、ジャニーズ事務所からの運命のスカウトではなく、実際は現在所属する事務所からのスカウトだった。そこから始まった芸能生活も、今年で21年。今や、ドラマや映画などに欠かせない存在となった勝地さんだが、俳優として自らが生きる道へと導いてくれた存在がいる。それが、古田新太さん。2007年、劇団☆新感線の舞台「犬顔家の一族の陰謀」に出演した際、古田さんから厳しくも優しい指導を受けた勝地さん。稽古終わりによく連れて行ってもらったのが、下北沢にあるお店「和楽互尊」だった。お酒を酌み交わしながら、古田さんが芝居のダメ出しをしてくれたこのお店は、勝地さんにとって“第二の稽古場”みたいな場所。当時、厳しいダメ出しをされ悔しくて泣いた思い出も…。今では、舞台を観劇した帰りにも足を運ぶというこのお店では、本場の博多焼き鳥が味わえる。勝地さんが大好きなのは、「豚バラ」。焼き場の横に盛られた塩の山から、大将が豪快に塩を振りかけて焼く「豚バラ」はちょっとしょっぱい味付けだが、間の挟んだ玉ねぎも絶品で、何本でも食べられる美味しさだという。
*店舗情報:「和楽互尊」東京都世田谷区北沢2-9-1 大新ビル 2F
東京・渋谷「青春のすべてが詰まった“オムライス”」(人生最高の一品)
勝地涼さんの“人生最高の一品”は、今はなき渋谷「RENKA」の「オムライス」。現在、大型家電量販店のヤマダ電機LABIが建つ場所にかつてあった恋文横丁。そこに、勝地さんが中学から高校時代によく通っていた洋食レストラン「RENKA」はあった。中学生の時にドラマで共演した山田孝之さんに初めて連れて行ってもらって以来、NHKに撮影に行く前、その帰りなど、しょっちゅう行っていたそう。当時はもちろん、お金も持ってない頃、すると店主の奥さんが『ジュース1杯でいくらでも居ていいよ』と言ってくれ、とても居心地がよかったという。また、当時付き合っていた彼女を連れて行って奥さんに紹介したり、仕事の悩みを聞いてもらったり、勝地さんにとっては、まさに青春時代の思い出がすべて詰まっている場所。そんな勝地さんがよく食べていたのが、「オムライス」だった。今となっては、その味を2度と食べることができないのは残念だが、いつまでも消えない思い出と共に勝地さんの心に刻まれた“人生最高の一品”である。*店舗情報:「RENKA」※現在閉店しています。
30代
30代
2020年11月14日放送回 ゲスト:児嶋一哉(アンジャッシュ)
ゲストは、アンジャッシュの児嶋一哉さん。お笑い芸人でありながら、大ヒットドラマ「半沢直樹」をはじめ俳優として大活躍。今や本業は俳優?と言ってもいいほど数々の名作に出演してきた児嶋さんが、ドラマの撮影秘話や、芸人人生を支えてくれた妻とのエピソードなどと共に“おいしいもの”のお話を語った。
■お品書き
東京「大物俳優がごちそうしてくれた“高級弁当”」
幼い頃からお弁当が好きだったという児嶋さん。母の手作り弁当を持ってサッカーに行ったり、妻の手作り弁当を持ってドラマの撮影現場に行ったり、とにかくお弁当が美味しいだけでテンションがあがるのだという。そんな児嶋さんが“最高のお弁当”というのが今から6年前、ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」(2014年放送)に出演した際、主演の唐沢寿明さんが出演者・スタッフ全員分を差し入れてくれたという「叙々苑」の「カルビ弁当」。お値段は1個2,900円(※店舗によって値段が異なる場合あり)。児嶋さんは、『叙々苑弁当を差し入れするなんてカッコいいなあ!』と衝撃を受けると共に、その味に感動したという。
*店舗情報(撮影協力):「叙々苑 六本木本店」東京都港区六本木7-14-4 レム六本木ビル2F
東京・代々木上原「仲良し夫婦と食べる“カルボナーラ”」
おぎやはぎ小木博明さんと昔から仲がいい児嶋さん。お互い結婚する前から、当時付き合っていた彼女(=現在の妻)も一緒にカップルでWデートしたりして仲良くしていたそう。そんな仲良し夫婦同士でよく食事に行っていたのが、代々木上原にあるオシャレなカフェ「dish-tokyogastronomycafe」。
児嶋さんのオススメは「カルボナーラ」。しかし、そのカルボナーラの美味しさを具体的に聞かれると…『卵がうまかったのかな…』としか答えられない始末。実は、最近特に物忘れが激しいという児嶋さんは打合せの際も、このお店で自分が何を好きでよく食べていたのか全く覚えておらず、妻に電話でメニュー名を確認する始末だった。
記憶は曖昧な上に、美味しさの説明も全くできないけど、児嶋さんがとにかく絶品だという「カルボナーラ」は、グアンチャーレ(豚の頬肉の燻製)を炒めた後、白ワイン、さらに具材を混ざりやすく卵を固まりにくくするために炭酸水を入れ、1.9ミリのパスタを投入。そこに卵黄3個に2種類のチーズ(ペコリーノロマーノ、グラナパダーノ)を加えて混ぜ合わせた一品。そのVTRを見てようやく、加藤浩次さんをはじめとする出演者は、『これは美味しそう』と盛り上がったのだった。
*店舗情報:「dish-tokyogastronomycafe」東京都渋谷区上原1-33-16オオツカビル2F
東京・東高円寺「駆け出しの頃に食べた!思い出の“カツ丼”」(人生最高の一品)
児嶋一哉さんの“人生最高の一品”は、駆け出しの頃に食べた思い出の味「カツ丼」。実は、ジャニーズに入りたくて…アイドルを目指していたという児嶋さん。しかし、当たり前と言えば当たり前だが、ジャニーズ事務所に履歴書を2回も送るも音沙汰はなし。
さらに、スカウト待ちで原宿に通っては1日中ブラブラするなど、アイドルになるための自己流活動“アイカツ”をしていたという。そんな叶うはずのない夢を追いかけていた児嶋さんが、テレビで活躍していたとんねるずやダウンタウンを観て、次第にお笑いにも興味を持ち始める。
すると、地元・八王子が輩出したお笑い芸人ヒロミさんとのつながりが!ヒロミさんの妹と同級生だったため、それをツテにヒロミさんに弟子入り志願。すると、弟子はとらないというヒロミさんは、当時所属していたプロダクション人力舎に『養成所ができるから、そこに行ったらどうだ』とアドバイスしてくれたという。
そうして芸人人生をスタートした児嶋さん。プロダクション人力舎は、本当に芸人思いの事務所で収入もほとんどない若手時代は、『ごはんは好きなだけ食べていい』と出前で何でも食べさせてくれたという。そんな若手時代の児嶋さんにとって忘れられない思い出の味が、当時事務所のあった東高円寺駅から近くにある「松月庵」の「カツ丼」だった。
それは、タレがしっかりとカツにしみ込んだ蕎麦屋さんの昔ながらの“THEカツ丼”。お金のなかった下積み時代の児嶋さんにとって、いつもお腹ペコペコで食べさせてもらった「カツ丼」は、本当においしくて、本当にありがたかった。事務所の好意に甘えて、1日に3回もカツ丼ばかり頼んだこともあったそう。そんな「カツ丼」は今では、決して味わうことのできない、忘れられない思い出の味となった。
*店舗情報:「松月庵」東京都杉並区高円寺南1-11-3
50代
2020年11月07日放送回 ゲスト:黒木瞳
ゲストは、黒木瞳さん。宝塚歌劇団の月組トップ娘役として活躍後、女優として映画、ドラマ、舞台と第一線で活躍し続ける黒木さんが、これまであまり語ってこなかったプライベートを赤裸々に告白。女優人生と共に自分を虜にしたおいしいものを語った。
■お品書き
東京・麻布十番「30年以上通い続ける“高級中華”」
東京・麻布十番にある、1964年創業の中国料理の老舗「高級中国名菜・皇麺 登龍」。ここは今から30年以上前、当時付き合っていた夫に連れて行ってもらって以来、黒木さんが通い続けるお店。黒木さんがまず注文するのは、創業当時から人気No.1メニューの「焼餃子」。50センチの鉄鍋で温度調節しながら焼いた餃子は絶妙な焼き加減で、一口食べた瞬間に広がる肉のうまみと野菜のバランスが計算し尽くされた絶品の味。
中華は、まず餃子を味わった後、麺をいただくのが黒木さんの流儀。餃子と麺を一緒に食べるのは論外で、一品一品おいしく味わいたいのだという。餃子の後、黒木さんが食べるのが一番大好きな「四川皇麺」。いわゆる担々麺で、熟成ちぢれ細麺が濃厚なスープに絡んだ絶品の一杯。黒木さんは、熱々で辛めが好みなので、昔ながらの「特製四川皇麺」をいつも注文。汗だくになりながら食べる夫をニコニコして見ながら、自分は汗もあまりかかず、ペロリと平らげるそう。
*店舗情報:「高級中国名菜・皇麺 登龍 麻布店」東京都港区麻布十番2-4-5
「ラーメン大好き!黒木瞳の地元・福岡オススメ3軒」
福岡出身だけにラーメンには目がないという黒木さんが、地元のオススメ店を3軒紹介。1軒目は、「まるまんラーメン」。とんこつラーメン発祥の久留米ラーメンに近い味がたまらないそう。*店舗情報:「まるまんラーメン」福岡県八女市黒木町本分1147-9
2軒目は、「ひさごラーメン」。黒木さんの父が好きでよく出前で注文して食べていた一杯。
*店舗情報:「ひさごラーメン」福岡県那珂川市松木2-2-1
3軒目は、「味万」。 ラーメン専門店ではなく食堂で、ここの「ちゃんぽん」が絶品だという。
*店舗情報:「味万(あじまん)」福岡県八女市黒木町桑原157-1
愛知・名古屋「1年に1度、必ず食べる“絶品ローストビーフ”」
舞台公演で名古屋を訪れた際、ステーキを食べに連れて行ってもらったお店「備長炭ステーキ炉 Sakai」。もちろんステーキも絶品だが、黒木さんを虜にしたのが自家製の「ローストビーフ」。昨年まで東京・麻布十番に支店があり、クリスマスにはパーティー用に必ずローストビーフを1kg注文していたそう。黒木さんが『他のローストビーフは、ローストビーフじゃない』とまで断言する「ローストビーフ」は、A5ランク黒毛和牛サーロインを使用。肉塊3kgから脂身や筋をそぎ落として約1kgになったブロックを、フライパンで全面こんがり色がつくまで焼きあげる。そして、約30分オーブンで加熱。
出来上がったローストビーフは包丁を入れると、ヒュ~っと通りも滑らかで、口の中でとろけてしまう食感だという。醤油ベースの自家製ソースでいただくのも良し、レホール(西洋わさび)に青唐辛子をお好みで加えていただくのも良し、まさに絶品の一品。
*店舗情報:「備長炭ステーキ炉 Sakai 名古屋大須店」愛知県名古屋市中区大須2-8-23
「生活をガラッと変えた“チキンカリー”」(人生最高の一品)
黒木瞳さんの“人生最高の一品”は、義母から教わった「チキンカリー」。高校卒業後、宝塚歌劇団に入団。その後女優となり、ほとんど料理をする機会もなかった黒木さんは、結婚する際に『私は、女優は辞めません。料理もしません』と夫に宣言。すると、夫は『それでも結婚してください』と承諾。ところが、夫から1つだけお願いが…。『母が作る「チキンカリー」がとてもおいしいから、それだけでいいので覚えて作ってほしい』と。そしてある日、夫の実家を訪ねた時、義母が作ってくれた夫の大好物「チキンカリー」を食べたところ、あまりのおいしさに黒木さんは驚いたという。
こんなにおいしいのならと、夫の願いを叶えるために、義母から教わった「チキンカリー」。生姜と玉ねぎ、ニンニクをペースト状にしたものを飴色になるまで約30分炒め、それを1つの薬味にトマトジュースとヨーグルトをベースにして煮込む。
そして、カレー粉をまぶしてこんがりと焼いた鶏肉を入れて、さらに煮込む。最後に、カレー粉で味を調えて完成。お好みで薬味としてきゅうり、トマト、玉ねぎを添えた一皿。もちろん、夫は大喜び、今では黒木さんの十八番メニューとなった。
夫からのたった1つの願いを実現するため、「チキンカリー」を義母に教わった黒木さんだったが、それをキカッケに義母にいろんな料理を教えてもらうことに。すると、黒木さんはそれまでやっていなかった料理が楽しくなり、どんどんハマってしまったという。今思えば、『夫にだまされた』と、苦笑いして振り返った黒木さんだった。
紹介していた中華ではまず餃子を食べてからというこだわりで、思い出のメニューの四川麺も餃子もおいしそうでした。ご主人との出会いの印象は結婚したくないタイプでしたが、東京に転勤が決まったら結婚という流れになったという驚きの馴れ初めでした。
おすすめのローストビーフ以外はローストビーフではない、と話すくらいお気に入りで、切るときはヒューっと、口に入れるとヒュルヒュルと溶けると擬音混じりで伝えてくれました。トーク番組は苦手だそうですが、楽しいお話が聞けました。
30代
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40代
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そして、更に意外だったのは、ラーメンが大好きだなんて、更に驚かされました。地元のおすすめラーメン店を、3件も紹介して頂けるなんて予想外でした。でも、美味しそうなラーメンでした。そして、そして人生最高の一品は、何と、チキンカレーだなんて、めちゃめちゃ親近感を持ちました。しかも、その経緯が凄く素敵だと思いました。幸せな気分になれました。
50代
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2020年10月31日放送回 ゲスト:V6長野博
ゲストは、長野博さん。今年デビュー25周年を迎えた国民的アイドルグループV6のメンバー長野さんは、言わずと知れた“芸能界屈指の食いしん坊”。1日5軒6軒ハシゴし、年間1000軒以上!これまで食べ歩いたお店の数はナント1万5000軒以上!しかも、9割以上がプライベート!メモしてある行きたいお店は何万軒もあり、7年後の2027年までお店を予約しているという。まさに、MC加藤さんが言い放った“食の変態”と呼ぶに相応しい人物。そんな長野さんが“タイミング”“フットワーク”“出会い”を大事にして歩んできた食べ歩き人生、またデビューまで苦節9年…紆余曲折の道のりだったアイドル人生を語った。そして、“食の変態”が選んだ“人生最高の一品”とは?
■お品書き神奈川・大和「味・量・値段すべて満足!超穴場の“焼き肉”」
長野さんが高校時代から30年以上通う焼き肉店、地元の神奈川県大和市にある「ホルモンセンター天狗家 本店」。創業37年、いつも行列のできる地元の人気店で2~3時間待っても食べたい焼き肉が味わえるという。長野さん曰く『クセになる美味しさ』で、今も定期的に食べたくなるそう。何よりお腹いっぱい食べても安い!『こんな値段でここまで幸せになれる』と、味・量・値段すべて満足の“コスパ最強”焼き肉。長野さんが一番にオススメするのは、「カルビ」。2人前で1,700円。他店の感覚で注文するお客さんには、スタッフが『量が多いけど大丈夫ですか?』と確認してくれるほどのボリュームで驚くこと間違いなし。もちろん、味も大満足の一品。オーストラリア産の牛バラを使用したカルビを少し焦げがつくぐらいに焼き、相性抜群のタレで食べると、もうたまらない。焼いた時の香ばしさとのバランスが最高だという。
「タン塩」(2人前1,380円)もオススメで同じくボリューム満点!この店は牛タンではなく、豚タン。牛タンと異なるサックリとした食感が楽しめる一品。
「ヤゲン」(2人前1,380円)も長野さんが必ず注文する一品。鶏の胸骨の先端にある軟骨だが、肉が結構ついていて、コリコリとした軟骨としっかりとした肉を一緒に楽しめる。塩でいただくのがオススメ。
そしてお肉の他にも、長野さんがこの店では外せないというメニューが「大ライス」、「千切りキャベツサラダ」、「自家製ジョッキバナナジュース」の三品。もちろん、それらも全部ボリューム満点!「カルビ」「タン塩」「ヤゲン」を二人前ずつに、これら三品も入れて総額ナント5,820円!一人あたり3,000円というコスパの良さ!これは大満足間違いなし!
*店舗情報:「ホルモンセンター天狗家 本店」神奈川県大和市柳橋2-2-15
長崎・対馬「“国境の島”で食べた!1500年続く…貴重な味」
自宅に約50種類ストックしているほど大の蜂蜜好きだという長野さん。そんな長野さんが『とても希少』と力説するのが、“国境の島”長崎県対馬で採れる「ニホンミツバチの蜂蜜」。そもそもセイヨウミツバチが9割以上占める生態系で、日本で唯一セイヨウミツバチが生息していない、つまり二ホンミツバチだけが生息する島、対馬。今から1500年前の6世紀からニホンミツバチの養蜂が行われてきた対馬では、民家の庭や山など至る所に巣箱が置かれている。対馬の養蜂はゆっくり熟成させ濃厚な味にするために、蜂蜜を採るのは年に1回、秋の時期だけ。特定の花から蜜を集めるセイヨウミツバチに対し、1年を通していろいろな花から蜜を集めるニホンミツバチの蜜は「百花蜜」と呼ばれる。複数の花の蜜がブレンドされているので、香り高く、コクの深い豊かな味わいが特徴。現在、市販されている商品や加工食品の原材料に使用されている蜂蜜のほとんどがセイヨウミツバチの中、飼育が難しく採蜜量も少ないニホンミツバチの蜂蜜は、まさに希少なもの。
*撮影協力:長崎県対馬「扇養蜂」扇 米稔さん
東京・銀座「フレンチのスーパーシェフが作る!飲める“ラビオリ”」(人生最高の一品)
長野博さんの“人生最高の一品”は、実力派シェフ山縣類さんが作る「リコッタチーズのラビオリ 焦がしバター風味」。50年以上に渡ってミシュラン三つ星を維持し続けているフランスの名店「ポール・ボキューズ」でフレンチを学び、イタリアで“パスタの神様”と称されたアンジェロ・パラクッキからイタリアンを学んだ山縣シェフ。三ツ星フレンチと王道イタリアンで培った山縣シェフが作る「リコッタチーズのラビオリ 焦がしバター風味」を食べた時、長野さんは『今までのラビオリと意味が違う』『飲めるような食感』と感動したという。現在、銀座の「キュイジーヌガストロノミック 吉平」でシェフを務める山縣シェフに協力いただき、このラビオリを特別に再現してもらった。ちなみに、こちらの店は1日1組限定でコース料理を提供するフレンチレストラン。特別オーダーで、「リコッタチーズのラビオリ 焦がしバター風味」を食べることができるという。『飲めるような感じ』と長野さんが感動した滑らかな食感を生み出すポイントは、強力粉と薄力粉に卵を落として手早くこね、コシのあまりない生地。それを2時間寝かせた後、薄く伸ばし、リコッタチーズや卵黄などの具を包む。そして、3分間ゆで、ソースとあえた一品が「リコッタチーズのラビオリ 焦がしバター風味」。餅の粘り気をなくした、飲めるほどやわらかい食感で、まさに“飲めるラビオリ”。口の中に入れた瞬間にリコッタチーズがフワッと口の中で広がり、『やわらかすぎて、噛まなくていいのか』と驚くこと間違いなし!作り置きができない、とても手の込んだ一品。
実は、このラビオリとの出会いの裏には、長野さんが尊敬する“食のプロ”の存在があった。その人物は、料理店のコンサルタントをやっている方であらゆる食の知識を持つという。いくら1万5000軒以上食べ歩きしても、その人と話す度に初心に戻ることができ、食に対してさらに貪欲に、さらに真摯に向き合う姿勢になれるのだという。
*店舗情報:「Cuisine Gastronomique 吉平」東京都中央区銀座7-2-8高谷銀座ビル3F
30代
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2020年10月24日放送回 ゲスト:小栗旬
ゲストは、小栗旬さん。大ヒットドラマ「花より男子」や映画「クローズZERO」など数々の話題作に出演し、舞台でも活躍。今や日本を代表する俳優となった小栗さんがヒット作に隠されたエピソードを“俳優人生を振り返りながら、おいしいもの”と共に語った。
■お品書き東京・小平「家族と食べた!思い出の“ラーメン”」
子どもの頃からラーメンが大好きな小栗さん。仕事で節制する必要がなければ、週に4、5回は食べたいというほど。そんな小栗さんが小学生から高校時代まで家族でよく通っていたという思い出のお店が、地元・小平市にある「ラーメン・ジャンボ餃子 -天神 tenjin-」。父はクラシックオペラの舞台監督で忙しく、母はクラシックバレエの先生で共働きだったこともあり、母と兄、姉と4人で事あるごとに行っていたそう。小栗さんがよく食べていたのは、「みそバターコーン」。スープに合うように配合した自家製麺を使用し、特別配合した北海道の赤味噌に、豚ガラ・鶏ガラ・げんこつなどを10時間かけ煮込んだスープの絶品の一杯。
*店舗情報:「ラーメン・ジャンボ餃子 -天神 tenjin- 」東京都小平市天神町4-8-3
「貧乏ひとり暮らしを支えた!小栗旬オリジナル“もやしパスタ”」
内田有紀さんに会いたくて…11歳の時に児童劇団に入団、芸能界入りした小栗さん。しかし、現実は厳しく、同世代の仲間たちがどんどん脚光を浴びていく中、表舞台に立つことができず悔しい日々を過ごす。『なんで俺はこんなところで地団駄を踏んでいるんだろう…役者として売れたい』という思いが強くなった小栗さんは、17歳で高校を中退。すると、父に『学生じゃないなら、家を出ていけ』と言われ、一人暮らしをすることに。17歳の小栗さんは、『中目黒に住みたい』『ちょっと天井が高い部屋に住みたい』と理想のままに、家賃11万8千円の部屋を借りて初めての一人暮らしをスタートする。もちろん、大変なことになってしまったのは言うまでもない。当時、小栗さんの給料は15万円。そこから家賃を払うと、残りは3万2千円。さらに光熱費や電話代などを支払うと、手元には1万円も残らない。そうなると当然、食べるものにも苦労する貧乏生活に…。そこで小栗さんが思いついた節約メシがある。それが、「もやしパスタ」。料理さえやったこともなかった小栗さんがスーパーに行った際、もやしが格安なことを知り、『もやしを茹でて食べればいいんだ!』とひらめく。そして作ったのが、実家から送ってもらったパスタに茹でたもやしをのせ、明太子ふりかけで味付けした「小栗旬オリジナル!もやしパスタ」。小栗さん曰く、『けっこうイケる』そうで、これを主食に貧乏生活をしばらくの間しのいだという。東京・吉祥寺「かけがえのない仲間と食べた“焼き肉”」
自由な校風で個性豊かな生徒たちが集い、とても刺激を受けたという小栗さんの高校時代。今でも仲良しだという同級生たちと当時よく通ったお店がある。「焼肉屋マルキ市場」吉祥寺店(※現在は閉店)。初めて入場料制を導入した焼き肉店で、現在は東京を中心に6店舗を展開している。当時、小栗さんがよく注文していたのが、ネギとニンニクのペーストで味付けした「牛タンマルキ焼」。
そして、ネギとニンニクのペーストに、さらにネギをのせた「牛炙りカルビ焼葱載せ」。
ここで焼き肉をよく食べて一緒に過ごした仲間たちをモデルに、小栗さんは初監督映画(2010年公開「シュアリー・サムデイ」)を製作。小栗さんにとって、かけがえのない体験をした青春時代の思い出は、その後の俳優人生に大きく影響していた。
*店舗情報:「焼肉屋マルキ市場」※吉祥寺店は閉店。
「全身全霊で演じた後の“カップうどん”」(人生最高の一品)
小栗旬さんの“人生最高の一品”は、「カップうどん」。それは、亡き名演出家・蜷川幸雄さんの舞台「カリギュラ」(2007年)公演の時に食べたもの。小栗さんの才能を早くから見出し、常に挑戦の場を与え続けた蜷川さんが、満を持して小栗さんのために用意したのが舞台「カリギュラ」だった。藤原竜也さん主演舞台「ハムレット」に出演して以来、5本目の蜷川作品。それは、日本ではほとんど演じられたことのない難しいもので、小栗さんが主役を演じる残虐非道なローマ帝国の皇帝カリギュラは、セリフが難解な上に、その量は台本155ページにも及ぶ、まさに難役中の難役だった。この役を小栗さんにやらせたい…そこには蜷川さんのこんな思いがあった。『小栗は本来ハムレットをやるべき俳優であり、ロミオをやるべき俳優。僕は小栗にサブカルチャーをやらす気はない。風俗的な匂いがするものはテレビで結構。小栗にもっとすごい俳優になってほしいから、与えたハードルです』。そんな蜷川さんの思いに応えたい…と、「カリギュラ」に臨んだ小栗さんだったが、かなりのプレッシャーを感じていたのも事実だった。しかも、当時はドラマやラジオなど超多忙な日々。睡眠も2〜3時間しかとれない状況。それでも蜷川さんの思いに応えるべく、全身全霊で舞台に取り組んでいた小栗さんの身体にある異変が起きる。カリギュラという役に支配されてしまったのか、「何を食べても血の味しかしない」という劇中のセリフそのままに、小栗さん自身『何を食べても、おいしいと感じることがなくなってしまった』のだ。楽屋に入ると必ず吐くところから1日が始まり、体力的にも精神的にも追い詰められた中で演じていた「カリギュラ」。まさに、俳優人生最大の試練だった。そんな状態で迎えた千秋楽―カリギュラを演じきった小栗さんは楽屋に戻った瞬間、ものすごくお腹が空いたという。そして、食べたのがマネージャーに買ってきてもらった「カップうどん」。それを食べた小栗さんは、『こんなうまいカップうどん食べたことない』と感動、人生で一番おいしい食事だったという。役者として全てを出し尽くし、蜷川さんに与えられた難役カリギュラを演じきったからこそ、味わえた最高の一杯「カップうどん」は、今も目をつぶると思い出す、小栗さんにとっての“人生最高の一品”であった。
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2020年10月17日放送回 ゲスト:藤井隆
ごちそう様 藤井隆さん
ゲストは、藤井隆さん。大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」やNHK朝ドラに出演し、舞台やミュージカルでも活躍!今や、お笑いより舞台の仕事がメインとも言える藤井さんは、実はサラリーマンとして経理で働きながら吉本新喜劇に出演していたという稀有な経歴の持ち主。そんな藤井さんの素顔をMC加藤さんは『真面目な中にとんでもない狂気を持つ男』と表現。芸人、俳優、歌手とマルチな才能を見せる藤井さんが“人生の恩人”と食べた“おいしいもの”のお話を語った。
■お品書き東京・麻布十番「大物MCと“冷製パスタ”」
藤井さんが大阪から上京し、東京をベースに仕事を始めた当時からお世話になった先輩芸人の一人、今田耕司さん。よく仕事終わりに今田さんが食事へ連れて行ってくれたそうで、ある時、麻布十番でレストランから出てきた石田純一さんと遭遇したという。すると、今田耕司さんが『石田純一さんが行くお店は絶対おいしいから』と、即座に予約。2日後、実際に行ったそのお店が、「Piccolo Grandeピッコログランデ」。名物「アッラビアータ」をはじめ、本格的なメニューが人気の老舗イタリアンで、石田純一さんの行きつけとして知られる。藤井さんが今田さんと訪れた際も、また石田さんの姿があったから驚いたという。
以来、家族でも訪れるほどお気に入りとなった藤井さんのオススメは、「冷たいフルーツトマトのフェデリーニ」。トマトがおいしい2月~5月頃のみ味わえる期間限定パスタ。妻・乙葉さんも大好きな一品だという。
そして、藤井さんが大好きな料理が、最初に出てくる「ゼッポリ」。準強力粉、わかめ、青のり、黒胡椒などを使用したパン生地を2度揚げ。外はカリカリ、中はモチモチとした食感が楽しめる一品。あまりにも美味しいので、藤井さんはついたくさん食べすぎてしまい、これだけでお腹いっぱいになってしまうこともあるらしい。
*店舗情報:「Piccolo Grande」東京都港区麻布十番3-7-2
ニューヨーク・ワシントンスクエア「海外で活躍するアノ有名人と“ラザニア”」
昨年6月頃、舞台と舞台の合間で仕事がしばらくなかった時、『一人旅にでも行ってきたら?』という妻・乙葉さんのやさしい一言をきっかけに一人訪ねたニューヨーク。そこで、久しぶりにピース綾部祐二さんと会える時間があったという。すっかりニューヨーカーになっていた?綾部さんが連れて行ってくれたのが、おしゃれなカフェレストラン「La Lanterna di Vittorioラ・ランターナ・ディ・ヴィットーリオ」。実はこのお店、秋元康さんが名曲「川の流れのように」を作詞した場所と言われており、あの世界的歌手テイラー・スウィフトもよく訪れるという。
ピザやコース料理まで気軽にイタリアンを楽しめるこのお店で、藤井さんが綾部さんと食べたのは大好きなラザニア。ここの名物だというラザニアは、バジル、ミートソース、チーズの3種類の味を楽しめる。
綾部さんとの再会があったから…というわけではないが、ブロードウェイミュージカルを観劇して過ごしたニューヨーク一人旅で、藤井さんはパワーをもらえたそう。当時ちょっと不安になっていた仕事に対する気持ちが、前向きになれたという。
*店舗情報:「La Lanterna di Vittorio」129 MacDougal St, New York, NY 10012
東京・溜池山王「すべてを教えてくれた人と“パンケーキ”」(人生最高の一品)
藤井隆さんの“人生最高の一品”は、ザ・キャピトルホテル東急にあるオールデイダイニング「ORIGAMI」の「パンケーキ」。旧称ホテル時代にザ・ビートルズが来日公演時に宿泊したことから広く知られ、日本の伝統的な建築様式を取り入れた和モダンなホテル。そのコーヒーショップとしてオープンし、各界の著名人が訪れるのが「ORIGAMI」。そこは、藤井さんの芸能人生を支え続けてくれ、すべてをおしえてくれた大恩人YOUさんが連れて行ってくれたところであり、今も通い続けるお店。
ここの名物といえば、「排骨拉麺(パーコーメン)」。国産豚ロースを2時間半秘伝のタレにつけ2度揚げすることで外はさっくり、中はジューシーに仕上げた排骨(パーコー)、鶏と豚のガラで約6時間かけて煮込んだものにオリジナルのタレを加えたスープ、外国人が時間をかけて食べても大丈夫なように工夫した伸びにくい麺が絶妙に絡んだ一杯。白ネギ、万能ネギ、ラー油、七味唐辛子をお好みでトッピングして、一度にいろいろな味わいを楽しめる。
YOUさんに連れて行ってもらって以来、藤井さんが長年愛し続ける人生最高の一品「パンケーキ」は、普通のそれとは異なる。当時のオーストリア人総料理長が自身の祖母が作ってくれた家庭料理をイメージし開発した「ジャーマンアップルパンケーキ メープルシロップ バターとともに」。フライパンの縁まで生地をまわし、オーブンに入れてこんがり焦げ目がつくまで焼き上げたもので、ふんわりではなく、薄いのが特長。熱々のパンケーキにたっぷりのバター、メープルシロップをかけていただく。リンゴの食感ともっちりとした生地の相性は抜群で、素朴でやさしい味わいが口の中に広がる一品。藤井さんは、追加トッピングでアイスクリームをのせるのがお気に入りだという。
*店舗情報:「オールデイダイニングORIGAMI」東京都千代田区永田町2-10-3ザ・キャピトルホテル東急
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2020年10月10日放送回 ゲスト:斉藤由貴
ごちそう様 斉藤由貴さん
ゲストは、斉藤由貴さん。17歳で「ミスマガジン」グランプリに選ばれ、18歳で「卒業」で歌手デビュー!そして、「スケバン刑事」でドラマ初主演し女優デビュー!80年代のトップアイドルとして一世を風靡し、その後も女優として第一線で活躍。今年デビュー35周年を迎えた彼女の素顔に、高校時代に斉藤さんの追っかけをしたことがあるMC加藤さんが食を通して迫った。しかし、斉藤さんの天然キャラ炸裂の切り返しにタジタジとなり…ノックアウト寸前!?波乱の展開に!斉藤さんの天然爆裂トークと横浜LOVEな人生のおいしいお話。
■お品書き神奈川・横浜元町「食べ方にこだわるLOVEな?食パン」
“食パンLOVE”だという斉藤さんの愛してやまないパン屋が、横浜の元町にある「ウチキパン」。映画のモデルにもなったことがある、創業132年の老舗。横浜生まれ・横浜育ちの斉藤さんは、幼い頃から両親に連れられてこのお店に通い、今も一番のお気に入りの店だという。
どのパンもオススメだが、斉藤さんイチオシは何といっても「食パン」。一説では“食パンの元祖”とも言われるここの「食パン」は、ホップを使った発酵種により長い時間をかけて手作りしたイギリスパン「イングランド」と、最高級の小麦粉を使った「ゴールド」の2種類。斉藤さんは、モチモチ感が強い「ゴールド」がお気に入り。1日目、2日目は焼かず、バターやジャムなど何もつけずに食べるのが、斉藤さんのこだわり。買ったらすぐ、車の中でひとり食べてしまうこともあるそう。1斤、2斤を半分に割って、真ん中の部分を手でボスッとむしり取り、できたてのパン生地をそのまま味わうのが、至福の瞬間なのだとか。
*店舗情報:「ウチキパン」神奈川県横浜市中区元町1-50
山形「実は…食パンよりLOVEな大好物?巨大な桃」
実は、食パン以上に斉藤さんがLOVEな大好物が“桃”。中でも、最近斉藤さんを虜にしているのが、某番組のロケで出会った「山形さくら白桃」。大きくて香り高く、ものすごく甘い絶品の桃だという。
神奈川・横浜中華街「母のうっかりが原因で出会った“あさりそば”」
横浜生まれ・横浜育ちで“横浜LOVE”の斉藤さん行きつけが、横浜中華街にある「広東料理 吉兆」。キッカケは、斉藤さんの母のうっかりだった。お店へ行った際、会計の時に財布を忘れたことに気づいた母は、店主にこう言ったという。『実は私、斉藤由貴の母なので無銭飲食はしません』。その後、駆け付けた斉藤さんが支払いを済ませたそうだが、母の面白い言動で店主と打ち解けて会話したことで親しくなったそう。以来、通うようになり、いつしか家族ぐるみの付き合いに。子どもが生まれた時にはわざわざお店に見せに行ったり…斉藤さんが2年前ブルーリボン賞の助演女優賞を受賞(2017年公開映画「三度目の殺人」)した際には授賞式(2018年)に父の代理で店主が出席したり…と、今では単なる行きつけを超えて親族のような関係になっているという。
斉藤さんがよく食べるのは、「活あさりそば」。醤油ダレに鶏と豚のダシを合わせ、さらにあさりの旨味がきいたスープが絶品で、それだけを飲みに行きたくなる美味しさだという。昼食の時は、「活あさりそば」だけで、夕食の時はコースのシメで必ずいただく、斉藤さんの一番のお気に入りの一杯。
*店舗情報: 「広東料理 吉兆」神奈川県横浜市中区山下町164
「女優人生で大好きな役!忘れられない昼ドラの“出前一丁”」
女優人生35年の中で、斉藤さんが一番LOVEな作品があるという。それが、2006年放送のTBS昼ドラ「吾輩は主婦である」。他の作品では、撮影が終わるとその場で台本を捨て役がすんなり抜けるタイプだという斉藤さんだが、この時は珍しく、演じた役(夏目漱石が乗り移った主婦)が本当に好きだったのでなかなか抜けなかったそう。そういうこともあり、劇中でよく食べていたインスタントラーメンの「出前一丁」をドラマが終わった後も、わざわざスーパーで買って自宅でしょっちゅう食べていたという。
「家族旅行で硬さの違う“おにぎり”」(人生最高の一品)
斉藤由貴さんの“人生最高の一品”は、両親が握ってくれた「おにぎり」。幼い頃の家族旅行と言えば、父の運転する大きなアメ車シボレーマリブで両親と4人兄妹の家族6人で出掛けていたという斉藤さん。そんな日は必ず、両親が早朝に起きて二人で一緒に「おにぎり」を作っていたそう。そして途中のサービスエリアで、家族みんなで食べる?ふんわりほろほろとした母の「おにぎり」と、硬くて大きくて食べにくい父の「おにぎり」。それは、斉藤さんの人生にとって一番の“忘れられない家族との光景”であり、一番の“思い出の味”であった
30代
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一番の味は両親が作ってくれたおにぎりの味ということで、食べると母がにぎったものなのか父がにぎったものなのかが分かるということで凄く両親の愛を感じました。ドラえもんの箸置きの話の時の加藤さんの突っ込み、スモールライトかビックライトかってしつこくて面白かったです。
30代
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2020年9月26日放送回 ゲスト:前田裕二
ごちそう様 前田裕二さん
ゲストは、SHOWROOM株式会社代表取締役社長の前田裕二さん。 運営する配信アプリSHOWROOMは、約550万ダウンロード(2020年月時点)!コロナ禍でも、会社は最高収益を更新!そして、著書「メモの魔力」はベストセラー!今や、メディアにも引っ張りだこで大注目のカリスマIT社長は、実は壮絶な少年時代を体験していた。ドン底を味わった極貧少年が電話1本で10億の仕事を動かすエリートへ…そして“時代の寵児”と呼ばれるまでになった波瀾万丈の人生と食の物語。
■お品書き東京・葛飾区小菅「極貧サバイバル生活を救ってくれた!まかない」
何も知らない人には順風満帆の人生と思える前田さんだが、実は今からは全く想像のつかない壮絶な少年時代を体験していた。母子家庭で育った前田さんは、小学2年生8歳の時に母と死別。10歳年上の兄と2人だけで生きていかなければならない現実に直面する。
住むところを失い、幼なじみや友人の家を転々とする生活がしばらく続き、小学校も満足に通ってなかったという。もちろん、食事もまともにできない日々が続き、友人の家でもらった梅干しと醤油だけで1週間をしのいだこともあったそう。
そんな過酷な状況の中、子どもながらに生きる術を模索した前田さんは、小学5年生から駅前でギター1本持って歌う弾き語りをしたことも。どうしたら人が立ち止まってお金を払ってもらえるか考えに考え、大人狙いで村下孝蔵さんの「初恋」や「踊り子」を歌ったり、自らオリジナル曲を作ったり、工夫をした結果、多い時は1ヵ月で総額10万をもらったこともあったという。そして高校生になった時、働いて食事もさせてもらえるバイトを初めて経験する。それが、地元のファミリーレストラン「ジョナサン」小菅店だった。
豊富なメニューの中で、前田さんにとって忘れられない思い出の一品が「カレー南蛮うどん膳」(※2019年3月販で販売終了)。食べるのもままならない少年時代を過ごしてきた前田さんだけに、『うどんとご飯を一緒に食べるなんて、こんな贅沢が世界にあっていいのか』と思うほどのとても幸せなメニューだったという。
バイトとはいえ社会の中で“働くこと”を経験し、そして給料をもらえて、賄いとして食べさせてもらった「カレーうどん」は、どんなに“時代の寵児”ともてはやされている今となっても、絶対に忘れることのない、一番のごちそうであった。
*店舗情報:「ジョナサン 小菅店」東京都葛飾区堀切7丁目1-2
東京・五反田「小泉進次郎も唸らせた!ギャップの味」
生まれも育ちも下町ということもあり、SHOWROOMを立ち上げる際、鶯谷にビルを建てようとしたほど、下町を愛してやまない前田さん。さらに、スナックも大好きでディープな世界が大好きだという。
そんな前田さんの行きつけの1つが、ディープな街として知られる五反田、駅近くの飲食ビル「Nico Nico TOWN」にある「美亭(よしてい)」。場所や佇まいから、『料理が出てくるまで、ここ大丈夫なの?』という怪しい雰囲気が漂っているが、実は料理が絶品だという。
それもそのはず、以前赤坂にあった伝説の名料亭「口悦」で働いていた凄腕料理人が営んでいるから。実際、この怪しさを味わってもらいドキドキさせたくて、作詞家・音楽プロデューサーの秋元康さんや代議士の小泉進次郎さんを連れて行ったこともあるそう。
前田さんの大好きな料理が、ピーマンとチーズの肉巻き「ピーチー」。ポイントは、絶対にいい塩を使わないこと。いい塩だから美味しくなるのではなく、塩の役割は塩化ナトリウムだけなので、本当にいい素材を正しく調理すれば、普通の安い塩でもおいしくなるという店主のこだわり、匠の技を堪能できる一品。
*店舗情報:「美亭」東京都品川区西五反田1-9-3 リバーライトビル 1F
東京・代々木「仕事との新たな向き合い方を教わった!しゃぶしゃぶ」(人生最高の一品)
前田裕二さんの“人生最高の一品”は、「代々木今半」の「和牛タンしゃぶ」。代々木で36年続く名店で、“「タンしゃぶ」発祥の店”として知られている。前田さんがこの店の料理を“人生最高の一品”に選んだ理由は、店主をはじめスタッフ全員が創業当時から続くこだわりをいつも持っているから。
例えば、牛や豚が何のエサを食べて育ったかなど、まるで今週お店がオープンしたかのようなテンションで説明してくれるという。『自分は会社を設立してまだ7年。もちろんテンションを高く保ち仕事に取り組んでいるが、40年後も50年後も現在と同じ熱量でやれているのか…「代々木今半」と同じように』。創業当時から変わらない食のこだわり、それを持ち続け、料理のおいしさをお客様に伝え続ける…前田さんは食にこだわり抜くお店の姿勢から刺激を受け、多くを学んだのだった。
「タンしゃぶ」を食べる時、熱湯につけるのはたった約4秒。さっと湯通ししたタンに豆苗を巻いていただく。店主曰く、『世間一般の「しゃぶしゃぶ」のポン酢は酸味が強く、ゴマだれも胡麻が甘いのが多い。その理由は、「しゃぶしゃぶ」を鍋にしてしまっているからだ。そもそも、「しゃぶしゃぶ」はお湯に一瞬つけるだけでいい料理で、素材そのものに水分が入るものではない。だから、ポン酢も薄まっていかないし、酸味がきついポン酢である必要がない』。ポン酢ひとつをここまで熱く語る店主と接し、前田さんは感動したという。
ここでは、ポン酢やゴマだれの他、塩でいただくのがオススメ。「ニンニク」、「バジル」、「メキシカンチリ」、「ブラックペッパー」など8種類と、時期によって用意される「季節の塩」を用意。お客様が振りやすいようにお店でさらに細かく砕いてブレンドしたオリジナルの塩で、「タンしゃぶ」をより美味しく楽しめる。
「代々木今半」をはじめ、今回紹介したお店はすべて、前田さんは兄を連れて行って一緒に食べたという。自分が味わった美味しさを兄と一緒に味わいたい―誰かと一緒に食べると最初に感動した時と同じように喜べるから。
幼い頃に社会の荒波に放り出され、お金が欲しくて必死に努力して生き抜き、成功を掴んできた前田さんは今、“楽しさ”を求めるようになったという。“努力”だけでなく、そこに“楽しさ”が掛け合わさることで、“夢中”になっているというのだ。お金は、その結果の単なるその対価でしかない、と。この考え方は、「代々木今半」も同じだという。おいしさへのこだわりを努力と思わず、ただおいしい料理をお客様に食べてもらいたい―と夢中になっているだけ。それが、今の時代に求められているのかもしれない。
*店舗情報:「しゃぶしゃぶ亭 代々木今半」東京都渋谷区代々木1-45-4 代々木山陽ビル B1F
40代
前田さんの話しぶりは終始穏やかで、経営者にありがちなガツガツした感じもなく、不思議な魅力がある人だと思いました。仕組みをよく見る観察眼とアイデアが豊富で、人と関わることを楽しんでいるのがよく伝わり、今後も活躍も見ていきたいと思いました。
30代
30代
30代
求められることをしないとお金を得ることが出来ないという、商売の原体験になったように思います。「お金は夢中の対価」という前田。面白いと思ったことを夢中でやって来たと感じる彼の屈託のない笑顔が印象的でした。
60代
30代
40代
30代
2020年9月19日放送回 ゲスト:石黒賢
ごちそう様 石黒賢さん
ゲストは、石黒賢さん。テニス少年だった高校3年生の時、ド素人でいきなり主演デビューを果たして以来30年以上、テレビドラマの第一線で活躍し続けている石黒さんが、俳優人生を支えてくれたおいしいものを紹介。
■お品書き京都・河原町「半年待っても食べたいアレ」
“戦後初のプロテニスプレーヤー”を父に持つ石黒さんは、幼い頃からカウンターでお寿司を食べていたというほど、生粋のお坊ちゃま。そんな石黒さんがロケなどで京都に行くと、一番の楽しみにしている美味しいお店がある。阪急電鉄・京都河原町駅から徒歩数分、路地裏に佇む「食堂おがわ」。カウンター13席だけのこじんまりとした小料理店で、食通がこぞって絶賛するという名店である。それだけに予約をとるのがなかなか難しく、石黒さんは前回、今年の春に訪れた際、次回の予約をしようとしたら半年待ちだったとか。メニューは、店主がこだわりを持って作る絶品料理の数々。鶏肉を一夜干しした名物「とりからあげ」は、柚子胡椒と合わせていただく。外はパリパリ、中はジューシーな一品。
また、看板メニューの「だしまき」は、葛と特製出汁を混ぜた卵で作るのがポイント。ふわふわ食感がたまらない一品。
そして、中でも石黒さんが大好きでオススメするのが「さばずし」。鯖は、厳選した千葉県沖産や韓国・済州島産を使用。1本どこを切っても、背や腹など身のバランスが一定になるよう握り、甘く炊いたしいたけで味にアクセントを加えた一品。石黒さんは、あまりにも美味しすぎるので、いつもおかわりしてしまうという。
*店舗情報:「食堂おがわ」京都府京都市下京区西木屋町通四条下ル船頭町204 1F
神奈川・横浜「デビュー作の思い出が詰まった一杯」
テニス少年だった高校3年生17歳の時、父・修さんから小説「青が散る」を渡され、『今度、この小説をドラマ化するらしいから、お前出てみる気があるか?』と突然言われた石黒さん。そして、『テレビドラマって、どんな世界なんだろう』という興味だけで、テニスができる新人を探していたプロデューサーと会うことに。実際にテニスのプレーを見てもらい、雑談をしただけで、その1週間後『君に決まったから、明日から毎日TBSに来なさい』と。
それから約3カ月、全く芝居経験のない石黒さんは毎日TBSに通って演技指導を受け、いきなり主演でデビューを果たす。そのデビュー作「青が散る」では、佐藤浩市さんや遠藤憲一さんらと共演。緑山スタジオで俳優とスタッフが集まって朝7時から草野球したり、若手俳優たちでスタジオに泊まって深夜まで談笑したり、いろんな思い出があるという。
そんな中、仲間たちとよく食べた思い出の一品が、「たんちゃん麺」だった。発売以来37年愛され続けているカップ麺で、現在は自動販売機専用の商品。当時、育ち盛りの石黒さんは当然1日3食では物足りず、小腹が空いた時にはこの「たんちゃん麺」に相当お世話になったという。人生経験の1つのつもりで出演した初めてのドラマ現場で、共演者、スタッフ含め、チームとしてものを作り上げる喜びを知った石黒さんは、『あのドラマが最初じゃなかったら、もしかしたら今は続けていないかもしれない』と振り返った。
*店舗情報:「緑山スタジオ・シティ」神奈川県横浜市青葉区緑山2100
東京・田園調布「撮影中は食べられない人生最高の一品」
石黒賢さんが選んだ“人生最高の一品”は、「特ロースカツ定食」。元々、とんかつ好きだという石黒さんだが、ドラマの撮影中は体型維持のため、体調の面から、とんかつを食べるのは控えているという。全ての撮影が終わり、クランクアップしてから、ご褒美として食べに行くのを楽しみにしているそう。
そんな石黒さんがこれまで食べてきた中で“とんかつナンバーワン”と絶賛するのが、世田谷の田園調布にあった「かつ久」の「特ロースカツ定食」。品質にこだわった豚ロースを使い、長期熟成の高級食パンから作った自家製パン粉で揚げた一品。
これまで30年以上に及ぶ俳優人生の中、出演してきた数々の作品の撮影が終わると、必ずといっていいほど足を運んで食べていた「かつ久」の「特ロースカツ定食」。しかし、「かつ久」は店主が高齢になったため閉店してしまっていた。しかし、石黒さんの俳優人生を支えてくれた“人生最高の一品”は、ドラマの思い出と共に生き続けている。
*店舗情報:「かつ久」 ※現在閉店しています。
そして「芝居に大事なことは同じ芝居ができるようになることだよ」との言葉も本人からいただいたようで、やはりそういう経験が演技にも現れていると思いました。
良く若手の俳優が独自の芝居論を偉そうに話しますが、石黒さんのように偉大な先輩たちから揉まれきたからこそ、つい聞き入ってしまう芝居論でした。
30代
「振り返れば奴がいる」の現場での織田裕二さんとのやりとりやその打ち上げにチャゲアスが来たこと、「半沢直樹」の堺雅人さんは俳優としての技術がとてもあることなどを語り、最後に、ある女性から「あなたが出ているドラマは面白いわよね」と言われたことがとても嬉しかったということを話していました。
食べ物の話題より、ドラマの現場のエピソードの方が面白くて、石黒さんの気さくな人柄の良さも伝わってきました。
50代
それから、デビュー当時の思い出の味が、カップ麺の「たんちゃん麺」との事。この話の時は、凄く優しい表情だったのが印象に残りました。そして、そして人生最高の一品は、「かつ久」の「特カツロース定食」は、見ただけでも、食べたくなる絶品でした。とても魅力的でした。
50代
色々な俳優さんと共演し、田中邦衛さんの話題が出たときに、加藤浩次さんはフジテレビで会ったことがあり、目の前から歩いてくる田中邦衛さんが、初めてなのに「久しぶり」と声をかけられたエピソードは笑えました。緒形拳さんと出会うまでは、リハーサルは少し力を抜いて芝居をしていましたが、緒方さんがリハーサルで涙を流したときに、今までの考えが変わったそうです。
「半沢直樹」で共演している堺雅人さんの演技の技術力も絶賛しておりました。真面目な印象がありましたが、フランクにトークしていたので意外でした。
30代
つかこうへいさんに呼ばれて現場に行くと大竹しのぶがいて、大竹さんの足を持って電気カミソリって言え、と言われた話には石黒さんと同じように「へ?」と思いましたが、つかさんがしっかり育ててくれたのが伝わりました。
30代
今ではドラマになくてはならない存在の石黒さんがデビューされたキッカケがあんなにあっさりしたものだったとは…お父さんがテニスプレーヤーだったのは存じませんでしたが親子並んだ写真はどこの俳優さんかと思う程端正なお姿で驚きました。あれじゃあ息子さんはドラマに出せる容姿になりますよね~
40代
印象的だったのが、安くて美味しい料理として紹介していたカップラーメンでした。10代の頃に今も活躍している俳優さん達とスタジオの自販機で買って食べていたというものです。裕福な家庭で育ったと思いますので、幼い頃から高級な美味しいものもたくさん食べていたはずですが、仲間と過ごした時間やその時代に空腹を満たしてくれたものはずっと思い出として残るものなのでしょう。今も自販機専用で販売されている商品とのことでしたので、機会があったら一度は食べてみたいと思いました。
30代
2020年9月12日放送回 ゲスト:高橋克実
ごちそう様 高橋克実さん
ゲストは、高橋克実さん。「女子が好きなワイドショー司会者ランキング」(めるもby GMO 2019年調べ)第1位に輝いたように、俳優だけでなく、情報番組やバラエティのMCとしても活躍。幅広い世代に支持されている高橋さんが“食”を通して、40年の“役者人生”を振り返った。
■お品書き東京・高田馬場「下積み時代に夢を語り合ったラーメン」
高校卒業後、上京して予備校に通い2年間浪人生活を送った高橋さん。その後、幼い頃からテレビっ子で憧れていた役者の道を志す。しかし、オーディションを受け続けるも、落選の日々。そんな中、顔見知りとなった者たちで集まり演劇を始めたのが、高橋さんの役者人生のスタートだった。当時、よく集まっていたのが高田馬場にあった友人のアパート。夢を語り合い、お腹を空かしては食べに行ったのが、「えぞ菊」。昭和43年創業、東京における札幌味噌ラーメンの老舗である。高橋さんがよく食べていたのは、味噌3種類にスパイス30種類を合わせ、2カ月熟成させた秘伝の特製味噌を使った一番人気の「味噌ラーメン」。豚骨や鶏ガラなどを煮込んだスープで炒めた具材(ひき肉、もやしなど)、スープとよく絡む中太ちぢれ麺が特製味噌と抜群の相性の一杯。
*店舗情報:「えぞ菊 戸塚店」東京都新宿区西早稲田3-21-18
大阪・梅田「役者人生最大の失敗の“忘れられない味”」(人生最悪の一品)
高橋さんの役者人生には、忘れられない最大の失敗があるという。2012年に上演した劇団☆新感線の舞台「シレンとラギ」の公演初日、大阪の梅田芸術劇場でのこと。高橋さん演じる独裁者ゴダイが笑いながら振り向き、演説をぶちかまして降りてくる見せ場のシーンで…いざ振り返ったその時、高橋さんは会場のあまりの大きさに『デカッ!ここ!』と思って、セリフがすべて飛んでしまったという。忘れもしないその瞬間は、体中がゾクゾクゾクとなったが、仕方ないと開き直ってキメ顔のまま『ハーッハッハッハ』としばらく笑って誤魔化したという。
それでも、セリフを思い出せなかった高橋さんはさらに開き直り、古田新太さん演じるキョウゴクに『キョウゴク!どうするよ!?』とアドリブで助けを求めた。すると、古田新太さんはじめ共演者たちは困りながらも対応して、何とかしのいだという。
閉幕後、相当落ち込んでいた高橋さんはどう謝ろうかと思っていたところ、共演者は誰一人として怒らず、『ありがとうございます』となぜか優しい言葉をかけるばかり。実は、「本番でNGを出したら罰ゲーム」という劇団☆新感線のルールがあり、真っ先に高橋さんがやらかしたことで他のメンバーは気楽になっていたのだった。そんな共演者の温かさに、高橋さんは楽屋に戻って一人で泣いて感謝したという。さらに後日、凹んでいた高橋さんを励まそうとみんなが連れて行ってくれたのが、ビアガーデン。
大阪・梅田のビル群が一望できる屋上ビアガーデンでビールを飲みながら食べた「枝豆」は、役者人生最大の失敗と共演者の優しさから、高橋さんにとって“忘れられない味”となった。
*店舗情報:「阪急トップビアガーデン」大阪府大阪市北区芝田1-1-4 阪急ターミナルビル屋上
※2020年度の営業は終了「母の手作り“味噌おにぎり”」(人生最高の一品)
高橋克実さんの“人生最高の一品”は、母の「味噌おにぎり」。米どころ新潟出身の高橋さんは、幼い頃から「おやつ」代わりに「おにぎり」をよく食べていた。そして、大人になってからも帰郷し、また東京へと戻る際には、母が必ず「おにぎり」を持たせてくれたという。それも、大きなサイズを8個も。当時は、そのありがたみを実感することもなかった高橋さんだったが、51歳にして我が子が誕生して親となって初めて、母の愛情を理解することができたという。母が作ってくれた「おにぎり」は、新潟のおいしいお米を俵型に握った上に、自家製味噌を塗っただけのシンプルなもの。今も、ちょっとお腹が空いた時には、この「味噌おにぎり」を作るという高橋さん。そして、それを我が子に食べさせるという。「味噌おにぎり」は、親から子へ、そして子から孫へ、と受け継がれる愛情のこもった高橋家の味であった。
またお父さんも同じで、最初にお母さんと会った日、突然雨が降り出し、墨汁で後ろを塗っていた髪から黒い液体が流れだし、母が怖がってたと話していました。エピソードが衝撃的すぎて面白くて、全然料理の話を思い出せません。
30代
御馳走の内容よりも冒頭の「頭髪」のお話がとにかく衝撃で大爆笑しました。こういうお話を面白く話せる様子は「高橋さんて芸人さん?」と勘違いしてしまう人も居るのでは…と思ってしまいました。私も兄が居るのですが、妹さんとのエピソードは「いろいろなお兄さんが居るんだな…」と我が兄が偉大に思えてしまったり(ごめんなさい)
40代
また、髪の毛が「天然パーマ」だということに驚きました。今の髪型では、全然わかりません。。高橋さんのご馳走の一つに、味噌おにぎりをあげていました。母が作ってくれた味だそうです。やっぱりどんなご馳走も母の味にはかなわないんだよなと共感しました。
50代
今の姿に見慣れているので違和感はないけど、全部毛をなくした結果、仕事も増えたと話していましたが、エピソードが面白すぎて紹介した食事はまったく入ってきませんでした。
40代
38歳で「ショムニ」でブレイクしてからもバイトをしていたそうで、役者一本でやる厳しさを感じました。阪急のビアガーデンは、舞台でセリフが飛んだ罰ゲームの思い出の場所で、失敗を温かくフォローしてくれた劇団員たちの様子が目に浮かびました。お父さんが頭に墨汁を塗っていた話、抜け毛が気になって掃除をマメにする話など髪の毛をネタにできる克実さんの懐の深さを感じる回でした。
30代
そして、人生最悪の味は、舞台でセリフが飛んでしまった大失敗の後に食べた大阪の梅田のビアガーデンで食べた枝豆だなんて…しょっぱかったでしょうね。そして、そして、人生最高の一品は、おふくろの味「味噌おにぎり」との事。この時、めちゃめちゃ良い表情で話してました。高橋克実さんの暖かさがとても良く分かりました。
50代
最高の味はお母さんの作ったみそおにぎり、凄くいいなあと思いました私の母も作ってくれることがありますし、私の母は子どものころに味噌おにぎりを自分で作った話を今まで何百回も話してきました。もう耳タコですよ。
でもだからこそ高橋さんが味噌おにぎりを最高の味に選ぶのはわかる気がします。お父さんは自分にうぬぼれていたんですね。
役者は水もしたたるいい男がやる者だと言って自分のことをそう言っていたそうです。本当に親子で面白いのがよく分かりました。
30代
30代
2020年9月5日放送回 ゲスト:キムラ緑子
ごちそう様 キムラ緑子さん
ゲストは、キムラ緑子さん。本格的にテレビで活躍し始めたのは、50歳を過ぎてから!しかし今や、舞台はもちろん、映画、ドラマに欠かせない名バイプレーヤーとなった彼女が底抜けに明るい素顔と共に、女優人生を好転させてくれた“おいしいもの”のお話を語った。
■お品書き京都・河原町「モテモテ時代の超激安!絶品のアレ」
京都で過ごした大学生時代、そして卒業後所属していた劇団員時代にキムラ緑子さんがよく通っていた寿司店がある。それが、安くておいしいと評判の「とみ寿司」。京都といえば、祇園など高級店のイメージがあるが、大学が多いこともあり、実は“学生にも優しい”町。中でも、「とみ寿司」は断然に“学生に優しい”お店だという。緑子さんが通っていた当時の値段はナント、破格の1貫20円から!あまりお金のなかった劇団員時代は、先輩に怒られるからと…その一番安い1貫20円の握りばかり食べていたという。そのネタが、「どうびん」や「げそ」。もちろん、今でこそ値上げしているが、それでも1貫40円という安さ。
「どうびん」とは、関西で食べられるネタで“タコの頭”のこと。ゆでた真ダコの頭を薄切りにして、甘ダレをつけた一品。シャリが小さめの江戸前寿司なので、何貫でも食べられるそう。
そして、ヘビーローテーションして食べていたもう一品が、ゆでた紋甲イカを使った「げそ」。
人気メニューは、握りの盛り合わせ「とみにぎり」。ボリューム満点で、1,650円というお手頃価格。ちなみに、緑子さんは注文したことがないという。
当時、緑子さんはこのお店で支払いをした記憶がほぼないという。先輩が自分の分を出してくれたり、お店で同席した気前のいいオトナの方々―大学の教授や大学病院の先生たち―がおそらく支払ってくれていたんだと思う…と振り返った。
*店舗情報:「とみ寿司」京都府京都市中京区新京極四条上ル578-5
東京・代々木上原「孤独を救ってくれた生ハム」
大学生時代から付き合っていた演劇サークルの先輩、現在も第一線で活躍している劇作家・脚本家・演出家のマキノノゾミさんと31歳の時に結婚した緑子さん。ところが、マキノさんの主宰する劇団の一員として、そしてプライベートでは夫婦として四六時中共に過ごすうちに、『人生このままでいいのかな?』と思うようになってしまったという。そして結婚13年目に、『1回一人になりたい』と我がままを言って離婚。しかし、緑子さんのその後は“人生最悪”というほど孤独でつらい日々だったという。そんな一人暮らしをしていた代々木上原のマンションから見えたのが、いつも賑やかなお店「ウェルファンカフェ」だった。マスターがスペインまでわざわざ買い付けに行って仕入れた本場の食材を使ったスペイン料理とワインが名物のこのお店は、深夜まで営業しており、その賑やかな雰囲気に引き寄せられ、一人でふらっと訪れてから常連になったという緑子さん。孤独で暗い気持ちだった彼女は、陽気なマスターの橋本さんと何気ない会話を交わし、美味しい料理を食べ、美味しいお酒を飲んで過ごすうちに、沈んでいた気持ちもだんだんと復活。前向きな日々を送れるようになったという。そんな緑子さんにとって忘れられない料理が、「イベリコ豚の生ハム」。当時はまだ日本でイベリコ豚がそこまで出回っていない頃だったが、ここでは「イベリコベジョータ(どんぐりなど自然産物のみのエサで放牧されて育った希少種)」など本場の味を味わえたという。
離婚して独り身だった頃も、緑子さんは年に1回は必ず元夫であるマキノさんの劇団で舞台に立ち、一緒に芝居を作り上げていた。その時間はやはり楽しかったという。そんな関係性が続いていた中で怒ったのが、東日本大震災だった。『誰かと一緒にいないと、一人は嫌だな』と感じ、再びマキノさんと一緒になった緑子さんは今、『読めない漢字があれば、何て読むの?』と何気ないことを聞ける相手が身近にいることをしみじみ『いいな』と思える日々だという。それも、孤独でつらかった数年間、毎日のように通った「ウェルファンカフェ」での美味しくて楽しかった日々があったから、そう言えるのかもしれない。
*店舗情報:「ウェルファン カフェ(Welfun Cafe)」東京都渋谷区西原3-24-12岡部ビル1F
東京・新宿「憧れの舞台の後に食べた…人生最高の一品」
キムラ緑子さんの“人生最高の一品”は、新宿にある居酒屋「犀門」の「コンニャクとジャコ炒め」。演劇に革命を起こした劇作家・演出家・小説家のつかこうへいさんに憧れ、演劇の世界へ入った緑子さんは、つかさんがよく公演していた紀伊国屋ホールに『いつか立ちたい』という夢を抱き、京都で女優活動を続けていた。そして、その憧れの舞台についに立った時、訪れたのが居酒屋「犀門」だった。『東京の演劇人の仲間入りができた』と感動したと当時を振り返った緑子さんは、“演劇界の聖地”とも呼ばれる新宿紀伊国屋ホールの近くにあり、演劇人たちが集う名店と知られていたこのお店に、今でも通い続けているという。一番のお気に入り料理は、「コンニャクとジャコ炒め」。コンニャク、ちりめんじゃこ、ししとう、鷹の爪、山椒などを煮込んだ、シンプルだけど出汁が染み込んだ味わい深い一品。今ではメニューにないが、どうしても食べたくなった時、特別に作ってもらうこともあるという。
聖子ちゃんカットでモテモテだったバブル時代の女子大生の時、演劇と出会い、夢を抱き、京都で地道に演劇活動を続けていた緑子さん。そんな彼女には“女優人生の恩人”と呼ぶ人物がいた。関西で演劇のプロデューサーをやっていた遠藤寿美子さん。ずっと応援し続けてくれた遠藤さんのおかげで、緑子さんは35歳にして東京進出を果たすことができたという。遠藤さんは「好きにしよし」という言葉を口癖のように、いつも緑子さんにかけてくれたという。自由であること、言いたいことを言うこと、我慢せずぶつかり合うこと、そういう生き方が大事だということを体現して教えてくれた…亡き遠藤さんの言葉を心の支えに、緑子さんは今、女優として満開の花を咲かせている。
*店舗情報:「犀門(さいもん)」東京都新宿区新宿3-36-15 内野ビル 4F
離婚した同じご主人と再婚した話は聞いたことがあったけど、「頼れるんです。漢字が読めない時に聞いたり…」とさらっと話す様子に突っ込みを入れたくなりました。役のイメージとバラエティの雰囲気がここまで違うのは、すごい女優さんなんだなと新しい一面が見れて面白かったです。
40代
二品目のお店は最近「全然行ってない」とのことですが、孤独な時代に通っており思い出すから、という話と、夫とは一旦離婚し、震災の後復縁したという話が印象的でした。
宮本亜門さんに「一生忘れない」と褒められたのに、次にあったときは忘れられていたというのは切なくもありますが、亜門さんとのやりとりを心の支えにして頑張れたのは貴重な時間だったとも思いました。
30代
40代
まずは、京都河原町の“モテモテ時代の激安寿司のとみ寿司”は、意外でした。次は東京代々木上原の“孤独を救ってくれた生ハム”との事。このハムの話をする様は、凄く緑子さんの思い入れが、めちゃめちゃすごいなあと、感じました。
私自身、この生ハムが一番食べたいと思いました。色々な話を聞けて良かったです。
50代
お気に入りのカフェが家から見えるっていいですね。そこのマスターは暗い時期を救ってくれた救世主だそうですが、行くと暗い気持ちを思い出しそうで二の足を踏んでしまってるんですね。是非行ってあげてほしいと思いました。
緑子さんテンションかなり高くてお酒入ってるみたいです。離婚してまた再婚していたということも知りませんでした。
30代
40代
2020年8月29日放送回 ゲスト:草刈民代
ごちそう様 草刈民代さん
ゲストは、草刈民代さん。本場ロシアの国立劇場に招聘されるなど、世界各国で公演してきた元トップバレリーナの草刈さんは、大ヒット映画「Shall we ダンス?」(1996年公開)で演技初挑戦。2009年にバレリーナ人生に幕を閉じた後は、女優として舞台やドラマなどで活躍中。プライベートでは、映画監督の周防正行さんと結婚25年目!そんな草刈さんが、その華やかさからは想像できないサバサバとした素顔を見せながら、人生で出会った“おいしいもの”を語った。
■お品書き静岡・伊東「幼い頃の“おめかし”ディナー」
父が会社経営しており、お嬢様だった草刈さん。子どもの頃、毎年夏休みに家族旅行で訪れていたというのが、静岡県伊東市にある老舗の「川奈ホテル」。「川奈ホテル」のメインダイニングで、家族みんなで食事した味で忘れられないのが、「コーンクリームスープ」。玉ねぎ、ポロネギをバターでソテーした後、生のとうもろこしを加えて炒め、チキンブイヨンで味つけ。手の込んだ濃厚な味の上品な一品。
おめかしして味わう「コーンクリームスープ」が、草刈さんにとっては子どもながらに特別感があり、毎年楽しみにしていた思い出の味だという。
*店舗情報:「川奈ホテル メインダイニング」静岡県伊東市川奈1459 本館1F
東京・新宿区荒木町「夫婦で見つけた濃厚スープ」
映画「Shall we ダンス?」で周防監督と出会い、今年で結婚25年目となる草刈さん。お互いを尊重し合う二人が偶然入って以来、お気に入りとなったお店がある。新宿の荒木町でオーナー夫婦二人が営む、カウンターだけのフレンチレストラン「onzi」。草刈さんのお気に入りメニューは、「冷製具沢山とうもろこしのポタージュ」。玉ねぎ、とうもろこし、ホワイトソース、チキンブイヨン、バター、塩をベースにしたスープは、子どもの頃に食べた「川奈ホテル」の「コーンクリームスープ」に通じていて、懐かしさを覚える味だという。
*店舗情報:「onzi」東京都新宿区荒木町6-41荒木町寿3-1階
東京・赤坂見附「自分自身の原点の味」(人生最高の一品)
草刈民代さんの“人生最高の一品”は、赤坂見附にある「天ぷら かねき」の「おいも」の天ぷら。祖父の代から家族で訪れていた天ぷら店があり、そこで働いていた金木至夫さんが独立して開いたお店が「天ぷら かねき」で、目の前で揚げた旬の魚介や野菜など、絶品の天ぷらをお座敷で堪能できる。中でも、草刈さんが子どもの頃に大好きだったのが「おいも」の天ぷら。ホクホクとした食感と上品な甘さが特徴のさつまいも「紅こまち」を揚げた後、たっぷりと砂糖をかけ、その上に天ぷらの油を垂らし、さらにブランデーをかけた、まるでデザートのような一品。その見たことのない天ぷらに、スタジオは騒然!MC加藤さんも『味が全く想像できない!食べたーい』と大興奮!果たして、その味は???ところが、肝心の草刈さんが味をうまく説明できず…誰にも伝わらないままに。とにかく、“百聞は一食にしかず”で、一度食べてみるしかない一品。
この「おいも」の天ぷらは、単に幼い頃に出会った“おいしいもの”というだけでなく、その後の草刈さんの人生において“おいしいもの”の基準とも言える味、“おいしいものの原風景”であった。
*店舗情報:「天ぷら かねき」東京都港区元赤坂 1-1-7
私が若い頃から活躍していらっしゃる草刈民代さんはいつまでもお綺麗でうっとり、画面を観ながら思わず「あれ?草刈さんて年下だったかな?」と思ってしまう程お若い…こんな年齢の重ね方をしたいなと番組を観ながら改めて思いました。ご主人のぐちにも愛が感じられてたまらなかったー!いいなあー憧れますね。
40代
子供の時に行った伊東のホテルのコーンポタージュが思い出の味で、新宿のonziのとうもろこしのポタージュも濃厚さが似ているという話でした。周防監督との馴れ初めを聞き、相性の良さを実感しました。周防監督のインタビューでは草刈さんをまるごと受け止めているのが伝わり、いい関係だなと思いました。
30代
2020年8月22日放送回 ゲスト:及川光博
ごちそう様 及川光博さん
ゲストは、及川光博さん。25歳の時、歌手としてデビュー。その計算し尽くした華麗なる王子様キャラでブレイクを果たす。そして今や、俳優として日曜劇場「半沢直樹」などで大活躍。
そんな及川さん、実は今年51歳で、MC加藤浩次さんと同じ年!真逆の人生を歩んできた同級生二人が“初のガチトーク”を繰り広げた。そして、おいしいものの話と共に、表舞台で見せる“華麗なるミッチー”ではない、普段見せることのない“及川君”の素顔を明かした。
■お品書き
神奈川・横浜「探し続けている運命のアレ」
『人生は運命のナポリタンに出会うための旅』とまで言うほど、及川さんが大好きな「スパゲッティナポリタン」。その発祥と言われているのが、横浜にある1927年開業の「ホテルニューグランド」。終戦後、アメリカ軍によって占領された横浜。GHQ(連合国軍総司令部)の宿舎として接収されたこのホテルで、2代目総料理長の入江茂忠さんが“アメリカ兵が茹でたスパゲッティに塩、胡椒、トマトケチャップを和えた物を食べている”のを見て、アレンジ加えて生み出した料理が「ナポリタン」の始まりと言われている。その伝統を受け継ぐ一皿が、今も「ホテルニューグランド」内の「コーヒーハウス ザ・カフェ」で味わえる。具材は、トマト、ロースハム、マッシュルーム。ケチャップではなく、トマトの粗切り・トマトホール・トマトペーストを使用し、コクがありながらもあっさりとしたソースが、モチっとした食感の麺と絶妙に絡み合う、格別な一皿。
*店舗情報:「コーヒーハウス ザ・カフェ」神奈川県横浜市中区山下町10番地 ホテルニューグランド本館1階
「人生最悪!失恋の焼き鳥」(人生最悪の一品)
その華麗なキャラクターのミッチーとして多くのファンを魅了する及川さん。もちろん、学生時代からモテモテだったが、意外にもプライベートではフラれ続けてきた人生だという。そんな恋の失敗談の1つが、焼き鳥屋さんデートでのこと…。大学生時代、付き合い始めた彼女と下北沢の焼き鳥屋さんに行った時、及川さんが一口目に食べたのが「ししとう」だった。すると、それがメチャメチャ辛い1本で、口の中が大変なことに。ガブガブ水を飲んでも、トイレに行ってうがいをしても、何やっても辛さは抜けず、さらに汗でびっしょり。30~40分の間、何もしゃべれない状態になってデートどころではなかったという。それが発端になったのか、その後、彼女との恋はフェードアウトしてしまったという。惨めな恋愛の思い出だけが残ってしまった及川さんにとって、その時の「ししとう」が“人生最悪の一品”となった。
東京・代々木上原「芸能人生の恩人と食べた…お好み焼き」(人生最高の一品)
及川光博さんの“人生最高の一品”は、代々木上原にある「ごきらく亭」の「お好み焼き」。それは、芸能界を生きていく上で勇気づけてくれた恩人・忌野清志郎さんと食べた忘れられない味だという。2002年、忌野清志郎さんと及川さんが組んで結成したスペシャル・ユニット「ミツキヨ」。一緒に音楽活動する中で、いろんなことを経験させてもらい、清志郎さんから多くのことを学んだという。王子様キャラでブレイクし、一躍人気者となった及川さんが“王子からミッチーへ”転職宣言をして新たな道を模索していた頃、どうしても“王子様キャラ”ありきでイジられ続けていたことがあった。
そんな時、『自分は笑われる側で、うまく馴染めないんです』と清志郎さんに相談したところ、返ってきたのは『馴染んでどうする。ずっと浮いてなさい』の一言だった。その言葉に勇気づけられた及川さんは、『自分の個性のままで、この世界で生きていこう』と思えるようになり、吹っ切れたという。忌野清志郎さんと出会えたこと、そして、清志郎さんに可愛がってもらったことが、“人生の誇り”だと及川さんは語った。
*店舗情報:「ごきらく亭」東京都渋谷区上原1-32-18 小林ビル 1F
横浜が出て来たのは神奈川県民としてはとても嬉しくなりました。さすがにあんな高級なホテルは行った事がないですが、及川さんにはピッタリですね。度々見せる及川さんの王子様な動きは観ていてとても笑えました。プライベートでもああだったらご家族はかなり疲れそう…でも視聴者は楽しくてたまりませんでした。
40代
しかも紹介されたナポリタンは、めちゃめちゃ優しい感じで美味しそうでした。一方人生最悪の一品は、焼き鳥だなんて、意外でした。しかも、「ししとう」が最悪だなんて、よっぽど、辛かったのでしょうね。今になっても覚えているなんてすごいと、思います。とても人の良さが分かり、良い放送回でした。
50代
「人生とは運命のナポリタンを探す旅」という発言や、カメラ目線のキメなどおもしろいのですが、清志郎さんとの思い出で「ずっと浮いてなさい」という言葉に納得しました。ミッチーは馴染む部分と浮く部分のバランスがいい人なのだと感じました。コンビニのアルバイト時代にモップ片手に歌ったり、楽屋では「ミッチー」ではなく「及川君」だったりするというエピソードも聞けて楽しかったです。
30代
人生最高の食事は忌野清志郎さんと行ったお好み焼き屋さんでした。思い出とともに人生最高と言っていて素敵な人だなあと思いました。忌野清志郎さんとの数々のエピソードはどれもほっこりとするお話ばかりでとても楽しく視聴することが出来ました。二人は似たところが多く、惹かれていったのだと思いました。及川の人柄が分かる回で良かったです。
40代
元狂犬?!MCの加藤浩次とはなんと同い年!ドラマ「半沢直樹」で共演する歌舞伎チームの演技を、顔芸ならぬ“顔プロレス”と例えていたのが笑えました。
デビュー前のライブハウス時代から王子様キャラで、最初は投げたバラの花をお客さんが避けていたのが、徐々に取り合いになるまでたった一年だったとか。
数々の失恋話に、忌野清志郎さんが現場についてきてしまう思い出話、下着はすべてファンからのプレゼントという話など、あっという間の30分でした。そしてもちろん最後はミッチーのウィンクで〆。
50代
人生最高の食事は忌野清志郎さんと行ったお好み焼きで、思い出とともに最高とおっしゃっていたところが素敵だと思いました。お二人とも似たところがあり惹かれていったのだと思いました。この番組は料理だけではなく、思い出エピソードもきけて好きです。
40代
また、深夜にコンビニで働いていたなんて芸能人もそういう時代があったんだと思ったら、努力は大切なんだと思いました。
30代
ナポリタンスパゲッティの旅をはじめているそうで、鉄板スタイルで、目玉焼きがのっていたら最高といっていて、喫茶店系の昭和スタイルなB級グルメなのが好きなのかと思いましたが、紹介していたのは、横浜のナポリタン発祥の高級洋食店のようなかんじでした。
40代
忌野清志郎さんが学園祭や映画撮影についてきてしまった話は面白かったし、ミッチーは元王子と言ってもしっかりカメラ目線をしてしまうのはさすがです。
40代
また、亡き忌野清志郎さんのお茶目なエピソードは、映像として目に浮かんでくるようでした。忌野清志郎さんとの思い出が詰まったお好み焼き屋さんが、とても美味しそうでした。
40代
2020年8月15日放送回 ゲスト:中丸雄一
ごちそう様:中丸雄一さん(KAT-TUN)
ゲストは、KAT-TUNの中丸雄一さん。その飄々としたイメージで、『他のジャニーズとは星が違う』と自虐的に語り、キラキラした“王道のジャニーズアイドル”ではないという中丸さん。でも実際は、多才で、他にはないキャラクターで愛される唯一無二の存在。そんな中丸さんがジャニーズらしからぬ素顔を見せ、波瀾万丈なグループの過去を振り返りながら、アイドル人生で出会った“おいしいもの”を語った。
■お品書き東京・原宿「過酷な青春時代を支えたラーメン」
原宿駅から徒歩約1分のところにある、とんこつラーメンの名店「九州じゃんがら」。15歳でジャニーズ事務所に入所した中丸さんがジャニーズJr.だった高校生の頃、番組のリハーサルやレッスンなどでほぼ毎日のように渋谷のNHKに通っていたという。その帰りに、同期の亀梨和也さんらジャニーズJr.の仲間たちとほぼ毎日のように立ち寄っていたのが、このお店だった。中丸さんがよく食べていたのは、とんこつスープに自家製焦がしニンニクマー油を加えた、熊本ラーメンがルーツの「こぼんしゃん」。カピタン(フライドガーリック)・きくらげ・ねぎをトッピングしていたそう。
当時、歌って踊ってカロリー消費がハンパなく、しかも育ち盛りだった中丸さんにとっては、NHKの食堂でとる夕食では足らず、ボリューム満点のラーメンもペロリ。さらには麺を食べた後、残ったスープにご飯を投入。シメに食べるスープを吸ったご飯もたまらなく美味しかったという。まさに中丸さんにとって、デビューを目指し、もがき苦しんでいたジャニーズJr.時代の忘れられない青春の一杯。
*店舗情報:「九州じゃんがら」東京都渋谷区神宮前1-13-21 1F
東京・赤坂「自分への最高のご褒美」(人生最高の一品)
KAT-TUN中丸雄一さんの“人生最高の一品”は、赤坂にある「燻」の「トリュフとフォアグラのオムレツリゾット」。赤坂の裏路地にある隠れ家的レストラン「燻」は、“燻製料理の達人”と称されるオーナーシェフ輿水さんが旬の新鮮食材を使って、ここでしか味わえない料理を提供。おまかせコースのみという贅沢な大人のお店で、独創的な和洋瀬中の極上料理を一皿ごとに合わせたお酒と堪能できる。中丸さんはこれまで2回しか訪れたことはないが、『今まで食べた料理の中で明らかに一番で、全ての料理が絶品』と語り、“ここぞ!という時の自分への最高のご褒美”として食べたい料理だという。それもそのはず、“フレンチの神様”ジョエル・ロブションが『東京の楽しみは、「すきやばし次郎」と「燻」に行くこと』と大絶賛するほど。「燻製のアスパラガスと自家製ベーコンのクリームスープ 燻製黒胡椒添え」は、“燻製料理の達人”と称されるオーナーシェフ輿水さんが自ら開発した燻製機で調理したアスパラガスをスープにし、自家製ベーコンを加えた一品。
燻製することで旨味を増した「燻製プリン」は、常識を覆す他では食べられない一品。
そして、おまかせコースの最後の方に出てくるのが、中丸さんの“人生最高の一品”「トリュフとフォアグラのオムレツリゾット」。最高級フォアグラと黒トリュフがたっぷり入った濃厚なリゾットをオムレツにしたもので、調味料にも燻製した塩・胡椒を使い、とことん燻製を堪能できる贅沢な一品。この料理は、美食家として知られるビル・クリントン元アメリカ大統領が『アンビリーバブル!生まれて初めての味に出会えたことにとても感動した』と大絶賛したという。
中丸さんがこの店に最後に行ったのは、3度目のメンバー脱退を受け、KAT-TUNが充電期間に入った2016年。その後、2年という充電期間を経て再始動したKAT-TUNは今、同じ思いを持つ3人で前へ進んでいる。中丸さんが次に「燻」を訪ねるのは、きっとアイドル人生で何かを成し遂げた時に違いない…“自分への最高のご褒美”として。
*店舗情報:「燻」東京都港区赤坂2-16-19 赤坂イイヌマビル B1F
グループの活動など色々と苦労している方でした。でも、その苦労の為かヒューマンビートボックスができたり、フルーツの飾り切りができたり、普段から努力して技を身に付けてきた方なのだなと感じました。それから、真面目に話してるのに、言葉選びが面白い方だと思いました。
料理は、赤坂のお店のオムレツリゾットがとても美味しそうでした。高級なお店のようなので行けないですが、食べてみたいなと思いました。
20代
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30代
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40代
他のバラエティー番組などでもそうですが、真面目にしていてもどこかふざけている感じがしてしまって、それがかえって中丸さんの魅力になっているんだと思いました。紹介していた料理は、さすが芸能人という感じのものかが多く、食べてみたくなりました。
40代
ジャニーズjr.時代、デビューするために自分の特技ボイパを身につけたり、どんな人たちがどんな場面でデビューするかと分析をするなど、努力してこられたんだなと思いました。グループメンバーが、少なくなっていくときの気持ちも告白されていて興味深かったです。
紹介されていた燻製のお店がすごく美味しそうでした。とても高級な所ですか、いつかは行ってみたいと思いました。ボイパを加藤さんとセッションする場面は、グダグダで笑えました。
50代
また、ジャニーズのデビューに至るシステムや、KAT-TUNからメンバーが何人も抜けていった当時の心境など、興味深い話をナチュラルに語っていたのが、中丸くんの人柄だなと思って見ていました。とはいえ、人生最高のお料理として紹介していた「トリュフとフォアグラのオムレツリゾット」は、いきなりVIPな一品でギャップが凄まじかったです!
50代
また中丸さんが、ジャニーズJr.時代の思い出話や、KAT-TUNのメンバーが一人、また一人脱退していったときの心境や残ったメンバーとの絆など聞き応えたっぷりな内容でした。個人的には司会の加藤浩次とのヒューマンビートボックスの掛け合いが面白かったです。
40代
2020年8月8日放送回 ゲスト:中川家
ごちそう様:中川家さん
ゲストは、中川家の二人、剛さんと礼二さん。「M1グランプリ」初代チャンピオンをはじめ、お笑い界の賞レースを総なめにしてきた“最 強の兄弟漫才コンビ”が、鉄板芸“大阪のおっさん&おばちゃんネタ”を大放出しながら語った、“笑いの才能”を育んだ「大阪のおいしいお話」。
■お品書き大阪・難波「漫才のネタになるアレ」
中川家の鉄板芸“大阪のおっさん&おばちゃん”のネタ元の一つが、大阪・難波にある「インデアンカレー」南店。NGK(なんばグランド花月)の近くにあり、出番の合間に行って昼食をよく食べるこの店で、カレーライスを食べながら人間観察をするのが二人のルーティーン。遭遇する面白いおっさんたちを見かけると即採用してNGKで披露。ここから、数々の爆笑ネタが生まれたという。もちろん「カレーライス」の味は絶品。1947年創業当時から変わらぬ秘伝のルーは、とろみのある辛口で、その絶妙なバランスが癖になる美味しさ。これまで当番組にゲスト出演したテニスプレーヤー伊達公子さんや歌舞伎俳優・片岡愛之助さんも紹介した、関西の人々に愛され続けている一品。
*店舗情報:「インデアンカレー 南店」大阪府大阪市中央区難波 1-5-20
さらに、ネタ元をもう1軒。「インデアンカレー」でカレーライスを食べた後に立ち寄る「アラビヤコーヒー」。「インデアンカレー」の斜め向かいにある雰囲気抜群の喫茶店。ここのカウンターに座って「ブレンドコーヒー」を飲みながら、テーブル席にいるおっさんやおばちゃんの会話に耳を傾けるそう。喫茶店は、まさにネタの宝庫で、この店からも数々の爆笑ネタが生まれたという。
*店舗情報:「アラビヤコーヒー」大阪府大阪市中央区難波 1-6-7
大阪・実家「泣きながら食べた絶品鍋」
二人が子どもだった頃、決して裕福な家庭ではなかったという中川家。でも、強烈なキャラクターの父、そして愉快な近所のおっさんたちがいて、楽しい少年時代だった。そんな生活の中で、もらってきた軍鶏を飼っていたという。幼鳥から育て、散歩に連れて行ったりして可愛がっていた二人だったが、その軍鶏を父が地域で開かれていた闘鶏(鶏をたたかわせて勝負を競うこと)に出場させていた。そしてある日、負けてしまった軍鶏に向かって父がポツリと一言『もうあかんなぁ…』。その日の夜の晩ご飯は、「軍鶏鍋」だった。可愛がっていただけに辛かったし、最初は食べる気になれなかったというが、『うまいから』と父に勧められ食べてみると、めちゃくちゃ美味しくて一緒に散歩した風景とか一気に忘れ去ってしまったとか。二人が幼心に“命をいただく”ことを知った食体験だった。
大阪・難波「引退を引き止めてくれた…恩人との思い出の味」(人生最高の一品)
中川家の二人の“人生最高の一品”は、大阪・難波の「炭焼 すみれ」の「京揚げ」。NGK(なんばグランド花月)の楽屋口を出てすぐのところにあるここは、若手時代に先輩芸人の今行くよ・くるよさんによく連れて行ってもらった思い出のお店だった。コンビを組んで4年目、MBS(毎日放送)の番組「GO!GO!ハッスル家族ショー」で、桂三枝(当時)さん、西川きよしさんというベテラン二人と共演することになった中川家の二人。しかし、大先輩たちとの共演で緊張していた二人は、いつも恐縮してスタジオの隅っこで大人しくしていたという。毎週のスタジオ収録では、演出家に理不尽なことで怒られる辛い日々…ついに、芸人を辞めようと思い詰めるまでに。そんな二人を見た今いくよ・くるよさんが、よく食事に誘ってくれたそう。
そしてある日、二人が『もう芸人を辞めようかと思てます』と打ち明けると、今いくよ・くるよさんは決して怒ることはなく、やり続けたらこんな良い事があるよと、いつもポジティブな話ばかりをしてくれたという。そんな中で一番よく言われたのが、『(漫才は)うまいけど、おもろないな』という言葉だった。
以来、それまで綿密に台本を作っていたのを一切やめ、ステージ上で自由に作り上げていくスタイルになった中川家。今や鉄板芸となった大阪のおっさんネタもやるようになり、次第に中川家の客席は笑いの渦になっていった。中川家が変わるキカッケを作ってくれた恩人・今いくよ・くるよさん、この二人がいて、最強の兄弟漫才コンビは誕生したのだった。
そんな中川家の恩人、今いくよ・くるよさんとの思い出の味が、「炭焼すみれ」の「京揚げ」。油揚げより少し厚みのある関西風油揚げを焼いて、ネギと鰹節を振って生姜醤油で食べるシンプルな料理で、京都出身の今いくよ・くるよさんが『これ美味しいよ』と、いつも最初に注文していたそう。芸人を辞めようとしていた二人を救ってくれ、漫才師として変わるキカッケを作ってくれた先輩との思い出の味は、中川家の二人にとって、忘れられない一品となった。
*店舗情報:「炭焼 すみれ」大阪府大阪市中央区難波千日前 11-4
一品目のインデアンカレーが過去にゲストに出た片岡愛之助と同じでしたが、大阪のおっさんやおばちゃんネタが本当にいそうなキャラクターで面白かったです。お父さんの話も強烈で、怖いもの知らずなエピソードにびっくりでした。今いくよ・くるよさんの言葉で漫才のやり方を変えたそうで、先輩が見守ってくれるのが素敵だと思いました。
30代
食に関して、どういった趣向なのか、ちょっとワクワクしました。まず最初は、大阪・難波にある「インデアンカレー」でした。難波にあってよく通うお店との事。“おっさん、おばさんネタ”の原点だなんて、めちゃめちゃ訪れてみたくなりました。でも、本当に素敵な時間でした。
50代
卵焼きを焼いているおばちゃんの物まねをしていてニワトリにも見えてしまいましたが、面白かったです。お笑い芸人の家は面白いエピソードがたくさんあって原点からして面白いんだなと思いました。美味しそうなすき焼きも昔の方にはごちそうなので紹介してくれたんだと思いました。
30代
近所の人がニワトリの肉を食べにやって来ていたそうです。なんでニワトリの肉があるってわかるかというと、「コケー」とニワトリがさばかれて鳴く声が聞こえたからということです。しっかりとおいしく食べて供養されたことでしょう。
30代
2020年8月1日放送回 ゲスト:田原俊彦
ごちそう様:田原俊彦さん
ゲストは、田原俊彦さん。歌手デビュー41年目!サービス精神旺盛だけど実はシャイな素顔、そして59歳にして歌って踊り、輝き続ける男の熱い本音を垣間見せてくれた“スーパースター”トシちゃんを支え続ける“おいしいもの”とは?
■お品書き東京・南青山「30年愛してやまないカフェ」
『ほぼ毎日行く』という“芸能界随一のカフェマニア”トシちゃんが30年通い続けるカフェ、南青山の洋菓子舗「銀座ウエスト 青山ガーデン」。1980年代、多忙を極めていたトシちゃんがテレビ各局を飛び回る中、ちょうど立ち寄りやすい立地にあったこともあり、よく訪れていたそう。以来、30年愛し続けているという。オススメは、自家製マヨネーズがたまらない「トーストハムサンド」。塩を少しかけて食べると、さらに美味しさが倍増するという一品。
そして、「ホットケーキ」もオススメ。見た目もシンプルで美しい、昔ながらの“THEホットケーキ”で、柔らかすぎず硬すぎず絶妙な食感で、一度食べたら驚くこと間違いないという一品。
*店舗情報:「銀座ウエスト 青山ガーデン」東京都港区南青山1-22-10
「カフェマニア☆トシちゃん推薦!おしゃれカフェ」
20代の頃、男性情報誌「Hot-Dog PRESS」のケーキ特集号に掲載されているカフェを片っ端からチェックして通い詰めたというトシちゃん。今でも食後は必ずカフェでケーキを食べるというトシちゃんが、オススメの“おしゃれカフェ”を紹介。まずは、恵比寿にある「MERCER CAFE」。ここで必ず食べるのが、「名物!生キャラメルシフォンケーキ」。ボリューム感たっぷりだが、見た目の割には甘すぎず、ちょうどいい美味しさでペロリと食べられちゃう一品。*店舗情報:「MERCER CAFE」東京都渋谷区恵比寿1-26-16 柴田ビル1F
そしてもう1軒が、広尾にある「天現寺カフェ」。お気に入りのテラス席は、明治通り沿いで結構人目に付くが、それをトシちゃんは気にしないそう。変装もせず、プライベートでもスター感丸出しのトシちゃんは、『逃げ隠れしてもしょうがない。どうせ撮られちゃうんだから』とまで言い放った。
オススメは、『チーズ200%!』というほど超濃厚なチーズケーキ「絹フロマージュ」。この濃厚チーズ味に合わせる飲み物が、「ロイヤルミルクティー」。いつもはコーヒー派のトシちゃんだが、ここで「ロイヤルミルクティー」を注文するのは、その美味しさだけでなく、かわいいハート型のカップがお気に入りだからかもしれない。
*店舗情報:「天現寺カフェ」東京都港区南麻布4-12-2 ピュアーレ広尾1F
東京・麻布十番「青春時代を支えたお肉」
高校1年15歳の時、スカウトではなく、自ら売り込んでジャニーズ事務所入りしたトシちゃん。ジャニー喜多川さんとの初対面で、『スターになりたいです!』と直談判。その熱意を認めてもらい、『来週からレッスンに来なさい』と言ってもらい、芸能界の扉が開いたという。高校3年間は毎週末、地元の山梨から上京して夢を追う日々…そんな青春時代、ジャニー喜多川さんによく連れて行ってもらったのが、麻布十番にある焼肉の名店「三幸園」だった。15歳で初めて食べるホンモノの焼き肉に『なんだ!コレは』とビックリしたトシちゃんは、カルビのあまりの美味しさに感動したことを今でも忘れられないという。
ジャニー喜多川さんに厳しくもあたたかく育てられ、才能が開花したトシちゃんはやがてアイドルから国民的スターへ。しかし、ジャニー喜多川さんには褒めてもらった記憶はないという。だからこそ、当時は“ジャニーさんにうなずいてもらう”ことをモチベーションに頑張っていたと振り返った。
*店舗情報:「三幸園」東京都港区麻布十番1-8-7
東京・桜新町「ステージ終わりのご褒美スイーツ」(人生最高の一品)
田原俊彦さんが選んだ“人生最高の一品”は、桜新町にある「PLATINO」のチーズケーキ「アンジュ」。それは、必ず月に1、2回は自らお店に自ら足を運んで購入するという、トシちゃん最愛のスイーツ。材料のナチュラルチーズ、甘さ控えめの白ワイン、ゼラチン、メレンゲを混ぜ合わせて絞り、そこにカシスのジャムを入れた後、急速冷蔵。仕上がりは、普通のチーズケーキとは全く異なる。その包みを開くと…超ふわふわの極上スイーツ「アンジュ」が現れる。酸味の少ないフロマージュブランとフレッシュクリームのチーズムースは、一度食べたら誰もが虜になる一品。トシちゃんは、シャンパンを飲みながら食べるのが極上のひとときだという。
今年で、歌手デビュー41年目。還暦目前にしても歌って踊り続ける“永遠のアイドル”トシちゃんは、普段の生活から節制し、ファンの待つステージに臨んでいる。そんな大好きなステージの後、頑張った自分へのご褒美に食べるのが「アンジュ」だった。
*店舗情報:「PLATINO桜新町店」東京都世田谷区新町2-35-16サラ・グラディオ1F
50代
40代
30代
30代
50代
2020年7月25日放送回 ゲスト:橋下徹
ごちそう様:橋下徹さん
ゲストは、橋下徹さん。元大阪府知事、元大阪市長であり、本業の弁護士のほか、コメンテーターとしても活躍。様々な顔を持つ男の“激動の半生”を食の話題からネホリハホリ。実は、じっくり話すのは初めてという橋下さんとMC加藤さんの二人の“初ガチトーク”は見応え十分!夫として、そして父親としての意外な素顔にも迫った。
■お品書き大阪・北浜「夫婦で憧れ続けた名店」
23年前(1997年)、橋下さんが弁護士なったばかりの28歳の時、奥様と初めて行った高級レストラン「PONTE VECCHIO北浜本店」。ここは、橋下夫婦が『いつか二人で行きたい』と憧れ続けた大阪屈指のイタリアンの名店。高校の同級生だった奥様との交際がスタートしたのは、橋下さんが大学1年の時。しかし、橋下さんは東京の早稲田大学、一方の奥様が通うのは神戸の大学という遠距離恋愛だった。そして橋下さんが大学2年の時、奥様が親の大反対を押し切って上京。二人は同棲生活を始めることに。後に弁護士を目指し司法試験の勉強に励む橋下さんを、奥様は弁当屋と本屋のバイトを掛け持ちしながら全面的にサポートしてくれたという。風呂なし・トイレ共同・6畳一間の下宿先での同棲生活…銭湯代もままならないほどの貧乏暮らしだったが、二人は幸せだった。そうして二人で苦難を乗り越え、橋下さんは無事に司法試験に合格。弁護士となった1年目に、奥様と二人で味わった初めての贅沢。それが、憧れの名店「PONTE VECCHIO」でのひと時だった。
橋下さんが初めて食べて以来、ずっと大好きで特別な料理だというのが、スペシャリテの「温かいポテトのティンバッロとキャビア」。キャビアを贅沢にたっぷりと使い、バターがきいたしっとり食感の料理で、美味しく食べてもらうために専用の陶器製スプーンが用意されるという、シェフのこだわりが詰まった一品。
*店舗情報:「PONTE VECCHIO北浜本店」大阪府大阪市中央区北浜1-8-16大阪証券取引所ビル1F
「家庭崩壊の麻婆豆腐」(人生最悪の一品)
橋下さんが時々無性に食べたくなるという大好物が「陳麻婆豆腐」。中国四川省にある「麻婆豆腐」発祥の店「陳麻婆豆腐」の日本支店で唐辛子の辣(ラー)と四川山椒の麻(マー)が効いた本家の味を楽しめる。橋下さんが必ず一緒に頼むのが「岩手鶏のトウガラシ炒め」。油で炒めたトウガラシの旨味がたまらないクセになる一品。しかし、トウガラシを噛んだら最後…舌が痺れてしまい、その後の料理が食べられなくなるほどだという。でも、行く度に橋下さんは『絶対噛んじゃダメだと思いながら、今日は大丈夫かな?』と、ついつい噛んでしまい、後悔してしまう日々を繰り返しているんだとか。
病みつきになるほどの大好物「陳麻婆豆腐」が、橋下さんにとっては“人生最悪の一品”だという。独立して弁護士事務所を開き、多忙を極めていた30代、橋本さんはとにかく仕事最優先で家庭を顧みず、子どもに対しても厳しい父親だった。そんなある日、約束していた娘のバレエ発表会に仕事で遅刻…娘のハレの姿を観ることができなかった夫に当然奥様は怒ったという。しかし、橋下さんは気にも留めず、『とにかく陳麻婆豆腐を食べたいから行こう』と、頭の中は大好物の「陳麻婆豆腐」のことだけ。すると、奥さんが『陳麻婆豆腐の前に、やるべきことあるじゃない!』と大激怒!政治家時代には『やるべきことがあるだろ!』『いま増税じゃない!やるべきことがある!』などと、自らが言い放っていた熱い言葉を、家庭では逆に奥様に言われしまう始末。“やるべきことをやらない”夫に、奥様はさらにブチ切れて熱々の電気ストーブを放り投げるなど大喧嘩に…。結局、「陳麻婆豆腐」は後日仕切り直して食べに行ったというが、当時のことを奥様ははっきり覚えていた。『あの時はお互いに対する思いやりに欠けていたんだと思う』『さすがにストーブは危険だったけど後悔はしていません』と、アンケートに回答。それを聞いた橋下さんはタジタジに。『とんでもない夫で、父親だった』と、橋下さんは51歳になった今、昔の自分を反省する日々だとか。
*店舗情報:「陳麻婆豆腐」東京、神奈川、愛知、大阪に展開
東京・早稲田「支えてくれた愛妻との思い出の一杯」(人生最高の一品)
橋下徹さんが選んだ“人生最高の一品”は、「ラーメン」。それは、早稲田大学時代に橋下さんが暮らしていた下宿先の裏にある、早稲田で創業60年を超える老舗食堂「メルシー」の看板メニューで、橋下さんだけでなく、まさに長年愛され続ける早稲田生のソウルフード。その「ラーメン」は、学生に優しい450円という安さ。橋下さんの学生時代は、さらに安くて280円だったというから驚き。味は、THEシンプルなしょうゆ味で、お店で教わった橋下さん流の食べ方は、まず【(1)ラー油をかけて食べる】、そして【(2)お酢を2周かけて味変して食べる】という2段階。「しょうゆラーメン」+「お酢」の相性の良さ、いわゆる「酸辣湯麺」のような美味しさを「メルシー」で知った橋下さんだった。
風呂なし・トイレ共同の6畳一間の下宿先で、女人禁制だったにもかかわらず、大家さんにバレないように奥様と同棲していた大学時代。毎朝8時頃になると、裏の「メルシー」から聞こえてくる、どんぶりのカチャンカチャンと鳴る音? それが1日の始まる合図だったという。銭湯代もままならないほどの貧乏な同棲生活だったが、一杯280円の「ラーメン」を二人ですすったあの時代があったから、今の自分がある。激動の半生を支え続けてくれた奥様のために…これからの人生を送ると橋下さんは約束した。
*店舗情報:「軽食&ラーメン メルシー」東京都新宿区馬場下町63
早稲田大学に通っていた時に、後に結婚する奥様が彼を支えるためにアルバイトを掛け持ちし辛い時も楽しい時も共に過ごしていたという話や、娘さんが彼氏を連れてきた時にあえて政治の話をさせて父をいい気分にさせようとしていたなど、普段聞けない家族の話が面白かったです。
40代
そんな橋下徹さんの最高レストランは、大阪?北浜にある高級レストラン“PONTE VECCHIO 北浜本店”。橋下さんが弁護士になった28歳の時に、奥さんと初めて行った思い出の屈指のイタリアンの名店。素敵な話だと思いました。
そして、意外だったのが、ラーメンを食べるということでした。今になって凄く親近感を感じました。学生時代に慣れ親しんだ味って、一生物ですよね。しかし、ラーメンにお酢をかけるというのは、正直、疑問です。
50代
20代
弁護士事務所勤務1年で独立して、当時CMや広告が禁止だった中、「大きめの名刺」としてパンフレットを配ったと聞き、固定観念に囚われない姿勢は当時から変わらなかったことを知りました。人生最高のメニューが早稲田のメルシーというお店のラーメンで、素朴さにギャップがありました。
30代
2020年7月18日放送回 ゲスト:片岡愛之助
ごちそう様:片岡愛之助さん
ゲストは、6代目片岡愛之助さん。歌舞伎だけでなく、日曜劇場「半沢直樹」や大河ドラマなどに出演。人気歌舞伎俳優の“本当は教えたくない…絶品ご褒美メシ”とは?
■お品書き大阪・日本橋「お忍びで通う!大阪の贅沢なアレ」
片岡愛之助さんが『頑張れたな』という時のご褒美で食べに行くお店が、大阪の日本橋にある「六覺燈(ろくかくてい) 黒門(くろもん)本店」。ミシュランガイド一つ星評価を受けたこともある名店で、上質なワインと共に高級串揚げのコース料理を楽しめる。コースは、旬の厳選素材を使った串揚げが約20本。お客がどの調味料で食べればいいか迷わないよう、串の向きをオススメ調味料に指して提供してくれる。
「車海老」には、塩。
「えんどう豆のコロッケ」には、山椒塩。
「とんぶり(ささみ・しそ)」には、辛子レモン。
東京の銀座、麻布十番、代官山にも支店があり、愛之助さんはそちらにも足を運ぶという。オーナーの水野幾郎さんはとても男気のある方で、いつも愛之助さんの歌舞伎を応援してくださるそう。
*店舗情報:「六覺燈ろくかくてい 黒門くろもん本店」大阪府大阪市中央区日本橋1-21-16 たこそうビル2F
東京・銀座「夫婦で通う!銀座の極上お肉」
大のお肉好きだという愛之助さんが、ご褒美でお肉をよく食べに行くのは、銀座四丁目交差点に面した高層ビル内にある「神戸プレジール銀座」。眼下に銀座の夜景を眺めながら、極上のお肉を目の前で焼き上げてくれる鉄板焼きの名店。一緒に行く妻・藤原紀香さんもいつも喜んでくれるという。愛之助さんオススメは、何といっても「神戸ビーフのフィレステーキ」。
その他、神戸ビーフ、但馬牛、季節の野菜、旬の魚介など厳選食材を使ったアラカルトメニューも充実しており、中でも「神戸ビーフの炙りトロ寿司」、「アワビ」がオススメだという。
*店舗情報:「神戸プレジール銀座」東京都中央区銀座5丁目8番1号 銀座プレイス11F
「お金がなくなった時の人生最悪の炭水化物」(人生最悪の一品)
1992年19歳の時、2代目片岡秀太郎さんの養子となり、6代目片岡愛之助を襲名。その後、東京での歌舞伎座公演にも出演するようになった愛之助さん。当時、公演期間中の約1カ月は、銀座のホテル暮らし。そうなると、普段の食事も必然的に銀座周辺が多くなり、半月で給料が食費で尽きてしまっていたそう。そこで、料理を一度も作ったことのなかった愛之助さんだったが、仕方なく自炊をすることに。お米の研ぎ方もイチから教わり、総菜をおかずに白ご飯にふりかけをかけて食べていたそうだが、もともと大食いだった愛之助さんは3合でも物足りず、1食で5合も食べてしまったこともあったという。大阪・難波「歌舞伎人生の大きな転機の…思い出の味」(人生最高の一品)
片岡愛之助さんの“人生最高の一品”は「カレーライス」。それは、愛之助さんにとって歌舞伎人生の大きな転機となった思い出深い味。もともと歌舞伎の家に生まれたわけではなく、一般家庭に生まれ育った愛之助さん。松竹芸能の子役募集をキッカケに芸能界入りして、歌舞伎の子役にも挑戦。1981年に13代目片岡仁左衛門の“部屋子”となり、片岡千代丸として初舞台を踏んだ。そして1992年、19歳の時に2代目片岡秀太郎さんの養子となり、6代目片岡愛之助を襲名。養子縁組して、実際に歌舞伎の名家“松嶋屋”の家系に入った愛之助さん。実の両親は、“息子には好きなことをさせてあげたい”という思いから『よし!行って来い!』と快く承諾してくれたという。しかし、養子になったことで愛之助さんには1つ戸惑いがあった。それは、今まで“旦那”や“若旦那”と呼んでいた師匠を急に“お父さん”と呼ばなければいけなくなったことだった。“師匠と弟子”がある日突然、“父と子”の関係に…。なかなか呼べずに戸惑っていた愛之助さんに、父となった秀太郎さんが『ご飯食べに行こう』と誘ってくれたのが、「インデアンカレー」だった。「インデアンカレー」のカレーメニューは1種類のみで、愛之助さんがいつも注文するのは、ライス大盛り&タマゴ入り、通称「大玉」。1947年創業当時から変わらぬ秘伝のルーは、とろみのある辛口。最初は、本来の辛口の美味しさを楽しみ、その後タマゴを混ぜて少しマイルドな味わいで2度楽しむのがオススメだという。
二人きりでカレーライスを食べた時、父・秀太郎さんからこんな言葉が…『自分のいただいたことを100%120%に仕上げていくことが、明日への近道だから。頑張りなさい』と。気楽なカレー屋さんを選び、そんな言葉をかけてくれた父の気遣いに、愛之助さんは翌日から『よし!呼ぼう!』と会話の全てにいちいち“お父さん”を付けて呼んでみたという。すると逆に、『お父さん!お父さん!ってうるさい』と言われてしまったとか。そんな“父と子”二人きりで食べたカレーライスは、歌舞伎人生の大きな転機の深い思い出が詰まった味だった。
*店舗情報:「インデアンカレー 南店」大阪府大阪市中央区難波1-5-20
30代
40代
20代
2020年7月11日放送回 ゲスト:ファーストサマーウイカ
ごちそう様 ファーストサマーウイカさん
ゲストは、ファーストサマーウイカさん。“関西弁のヤンキー”キャラで大ブレイク!2019年下半期急上昇テレビ出演ランキング1位(日本モニター調べ)に輝くなど、今やバラエティ番組に引っ張りだこの彼女の素顔とは?そして、芸能界を生き抜くエネルギーとなったおいしいものとは?
■お品書き東京・新宿歌舞伎町「仕事前に一人で食べる!至福のお肉」
ファーストサマーウイカさんは高校卒業後、地元大阪の「劇団レトルト内閣」に入り、芝居の道へ。その後、本格的に女優を目指して上京するも…破天荒なアイドルグループ「BiS」、そして音楽ユニット「BILLIE IDLER」の一員として活動。そんな中、関西弁・ヤンキー・毒舌・大阪のオバチャンぽい・宝塚ぽい・スナックぽい…などといったキャラクターが注目されテレビ出演、タレントとしてブレイクを果たす。そんな彼女が「BILLIE IDLER」時代によく通っていたお店が、新宿歌舞伎町にある「新宿食肉センター 極(きわみ)」。一人焼き肉を楽しめるカウンターもあり、基本一人行動が好きなウイカさんにとって最高のお店だったという。新宿でライブがある時、ライブ前に一人でふらっと足を運んで食べていた料理が大好物の「あみればー」。食肉加工センターから毎日仕入れる新鮮な「朝締めレバー」を使用し、網脂(内蔵の周りにある網状の脂肪)で巻いた一品。火を通すとパサつきがちなレバーだが、網脂で包むことによって表面は焦げ目がついてカリッと、中はちゃんと火が通っているけどプルッとしたレアの食感が楽しめるという。
*店舗情報:「卸 新宿食肉センター 極」東京都新宿区歌舞伎町2-10-5 1F
東京「泣きながら一人で食べるアレ」
ウイカさんが住まいを決める際、「その店が周辺にあるかどうか」をポイントにするほど、大好きな中華食堂チェーン「日高屋」。上京後、首都圏に400店舗以上展開する「日高屋」の存在を知り、安くて美味しい上に、一人飲みできるところが大のお気に入りだという。そんなウイカさんは番組収録など仕事が思うようにいかなかった時、「日高屋」で“ひとり反省会”をするそう。その時、ビールを飲みながら食べるのが「油そば」。つまみは注文せず、1人前1.5玉の「油そば」をガッツリ食べながら、いつも反省しているという。*店舗情報:「熱烈中華食堂 日高屋」※首都圏を中心に400店舗以上展開する大手飲食チェーン
大阪・中津「芸能界への道を切り拓いてくれたカフェ」(人生最高の一品)
ファーストサマーウイカさんの“人生最高の一品”は、大阪・中津にあるカフェ「カンテグランデ」の「アイスチャイ&ケーキセット」。実はここは、ウイカさんの父が学生時代にアルバイトをしていた関係で幼い頃から連れて行ってもらっていた馴染みのお店だった。しかも、ウルフルズのトータス松本さんも昔働いていたことがあり、自らの曲「OSAKA STRUT」の中に「♪梅田行きのキップ買って~カンテGでチャイとケーキ~」という歌詞で登場するほどの名店。今も大阪に帰ると立ち寄るというウイカさんがいつも注文するのは、ウルフルズの曲と同じく「アイスチャイ」と「ケーキ」のセット。ケーキは、チーズタルトがオススメだという。そして、「チャイ」は味の濃いスリランカ産茶葉を使用し、熊本・阿蘇産の濃厚牛乳を加えて作る一杯。大阪でチャイを広めた創業当時のオーナーとスタッフが自らの足でインドへ渡り、仕入れてきた当時のレシピを大切に受け継ぎ、お客様に提供しているこだわりの味。
ちなみにイチオシ料理は、選び抜かれた10種類以上のスパイスを使用した味わい深いオリジナルの「カレー」。チャパティ(インドで食べられている非発酵のパン)の相性も抜群で、こだわりの一品。
実は、「カンテグランデ」は、ウイカさんと芸能界を繋いでくれた場所だった。ウイカさんが演劇の世界へ進む時、父が娘のために紹介した人物が、「カンテグランデ」のバイト仲間で劇団俳優のコング桑田さんだった。それから時を経て、東京でアイドル活動や音楽活動をする中、本来の夢である俳優に本腰を入れようと思ったウイカさんは、コング桑田さんに再会して相談。桑田さんの計らいで俳優メインの事務所に所属することになったという。そんな縁を繋いでくれたのは、父の存在、そして「カンテグランデ」。「カンテグランデ」があったからこそ、今の自分がある…夢へと導いてくれたカフェの味「アイスチャイとケーキセット」が、まさにウイカさんの“人生最高の一品”。
*店舗情報:「カンテグランデ 中津本店」大阪府大阪市北区中津3丁目32-2アルティスタ中津B1F
最初に紹介された焼肉はおいしそうですね~その後はラーメン、何というか元気な感じの女性なのでこういう力強いメニューが似合いますね、でも結構繊細なところもあるのがわかって応援したくなりました。とても自分を高めるための努力をしてらして、偉い!トークも紹介されたメニューもとても元気が出る内容で、かなり濃い番組になっていたと思います。
40代
レバーを一人で食べに行き、日高屋の油そばで反省会をするそうで、一匹狼タイプではあるけれどサービス精神旺盛で、おもしろさと真面目さがある人だと感じました。エゴサーチが日課で1日50回するのもびっくりですが、話のネタにするためでもあると聞き、勉強熱心だと思いました。自分の出た番組は見れないそうで旦那さんに見てもらうというビビリな面もあり、見た目と語り口とのギャップが魅力なのだろうと思いました。
30代
ファーストサマーウイカというネーミングについてさんまさんの番組で話そうと用意していたけれど、さんまさんに最初に言われてしまい、動揺してしまい、帰りの電車で大泣きしていたことなど色々苦労された過去もお持ちのようでした。また、お父さんが昔バイトしていた大阪のカフェも紹介されており、本当においしそうでした。お店の雰囲気も素敵でした。
30代
2020年6月27日放送回 矢作兼
ごちそう様 矢作兼さん(おぎやはぎ)
ゲストは、おぎやはぎ矢作兼さん。矢作さんがお笑いの世界に入る前、サラリーマン時代から仲良しのMC加藤さんと“今だから話せる禁断?暴露トーク”を展開。若かりし頃の二人の恥ずかしい思い出、超レアな矢作さん結婚秘話などと共に、人生のおいしい話を紹介。
■お品書き東京・三宿「大人の味を教わった…イタリアン」
1990年代前半、若者たちがおしゃれスポットとして集った世田谷区三宿。それを代表するのが、人気イタリアンレストラン「カフェ ラ・ボエム」。まだ20代だった加藤さんと矢作さんもよく通っていたこのお店…実は今思い出すと、二人には恥ずかしい思い出がある。当時、二人はお互い付き合っていた彼女を連れてWデート。一緒にテニスをした後、「ラ・ボエム」のテラス席でちょっと気取ってご飯を食べる…そんな流行にのったベタベタな青春のひと時を過ごしたこともあったという。そんな恥ずかしい思い出もある「ラ・ボエム」で、矢作さんが初めて食べて感動した料理が、蜂蜜をかけて食べるゴルゴンゾーラのピザ「ゴルゴンゾーラ蜂蜜添え」。今では当たり前だが、当時『ピザに蜂蜜!?』と衝撃を受け、『俺って、オシャレだな』と、ちょっと大人になった気分だったという。
他にも、ここで初めて知った料理が…サラダにチーズをかけて食べる「シーザースサラダ」。『なんてオシャレなサラダなんだ』と、驚いたという一品。
*店舗情報:「カフェ ラ・ボエム 世田谷」東京都世田谷区池尻 1-9-11 メゾン・ド・ソレー1F/B1F
東京・椎名町「大好物になった…思い出の味」
矢作さんの大好物「寿司」。寿司が大好物となった原点のお店がある。豊島区椎名町にある創業約70年の老舗「魚がし寿司」。矢作家の行きつけだった寿司店で、小学生時代には学校帰り、よく板前さんに『兼ちゃん』と呼ばれ可愛がってもらっていたという。そんな中、『寄っていきなよ』と声を掛けられ、寿司を食べて行くこともあったそう。小学生でカウンターに座って、ツケで寿司を食べていた!? 時には、『ここタダなんだぜ』と友達を誘って一緒に食べることもあったという。もちろん、小学生の矢作さんはツケの文化など知る由もなく、タダだと思い込んでいたが、実際は後でお母さんが支払っていたのを後々知った矢作さんであった。当時、小学生の矢作さんがよく食べていた握りが「イクラ」「たまご」「マグロ」。板前さんがお寿司を握る姿を見るのが好きで、いつも『かっこいいなあ』と思っていたそう。
*店舗情報:「魚がし寿司」東京都豊島区長崎1-6-5
東京・碑文谷「憧れの大先輩と共に通った…名店の味」(人生最高の一品)
矢作さんの“人生最高の一品”は、東京・目黒区碑文谷にある「吉法師」の「鴨せいろ(天邪鬼(あまのじゃく)そば)」。東急東横線・学芸大学駅から徒歩約10分、碑文谷交差点から程近いこの店は、矢作さんが以前暮らしていたマンションの近所だった。実はここ、矢作さんの憧れの人であり芸能界の大先輩であるタモリさんも行きつけの名店。共演した番組の収録終わりに偶然発覚し、後日ご一緒することに…すると、まさかのサシ飲み。最初は緊張した矢作さんだったが、憧れの人といろんな話ができ、最高に楽しい夜になったという。ところが、収録現場で『あの店の蕎麦は美味しい』と二人で散々盛り上がっていたのに、タモリさんはお酒をひたすら飲むばかりで食べたのは「骨せんべい」だけ。絶品の蕎麦を一緒に食べるのも楽しみにしていた矢作さんは、ちょっと拍子抜けしてしまったという。そんな最高に楽しい夜をタモリさんと過ごした矢作さんがオススメする「天邪鬼(あまのじゃく)そば(鴨せいろ)」は、 北海道・音威子府(おといねっぷ)産などの蕎麦粉を使用した手打ち蕎麦を鴨肉、ナス、ししとう、ごぼう、しめじ、ネギ、ゆずを使った絶品のつけ汁でいただく一品。大好きな蕎麦をタモリさんが一緒に食べることはなかったが、何より憧れの人と二人きりで過ごした…忘れられない味であった。
*店舗情報:「手打そば 吉法師(きちほうし)」東京都目黒区碑文谷4-2-3
そして、本格的なお寿司店に小学生の時から通っていたなんて、凄い!の一言しかありません。好きなネタは、「イクラ」「タマゴ」「マグロ」だなんて、思わず格好良いなあと思ってしまいました。何かとても矢作さんのトークに惹きつけられました。子煩悩の様もとても素敵でした。
50代
結婚のきっかけに樹木希林さんからの言葉があったという話が印象的でした。最高のメニューの鴨せいろはタモリさんとのサシメシだったそうで、お昼の顔になれたのはマネージャーのおかげだと話していたエピソードはタモリさんの懐の深さを感じました。
30代
2020年6月20日放送回 ゲスト:フワちゃん
ごちそう様 フワちゃんさん
ゲストは、大人気のYouTuber芸人フワちゃん。奇抜な衣装で超ハイテンション!今やネットを飛び出し、テレビでも大活躍する彼女の謎に包まれた素顔を、食を通して丸裸に!
■お品書き「砂糖が大好き!大の甘党フワちゃんの最愛レシピ」
大の甘党だというフワちゃんは、カレーをはじめ、ミネストローネなど何でも砂糖をかけて食べるのが大好き。そんな彼女が“騙されたと思って一度試してみてほしい”とオススメする甘党レシピを紹介。それは、「ご飯」に「ツナ」と「マヨネーズ」を加え、「醤油」をかけた後に、「砂糖」を大さじ2杯振りかける衝撃の一品。スタジオ全員がドン引きだったものの、フワちゃん曰く『東南アジアで大人気と言われるたら納得できる!割と発見的な味』らしく、甘じょっぱさと砂糖のジャリジャリ感が癖になる美味しさだという。東京・中目黒「夢を追いかけた原点のパスタ」
元々、お笑い芸人を目指していたフワちゃんは、学生時代に中目黒にあるお笑い芸人養成所「ワタナベコメディスクール」に通っていた。レッスン帰りに相方とよく立ち寄っていたのが、行列のできる人気のパスタ専門店「関谷スパゲティ」。厳選された約8種類あるメニューの中で、フワちゃんがオススメするのは、「塩バジリコ」と「たらこクリーム」。この2皿を注文して相方と二人でシェアして食べていたという。*店舗情報:「練りたて、茹でたて、炒めたて。関谷スパゲティ」
東京都目黒区上目黒3-1-2ハウスセンター中目黒ビル 1F東京・赤坂「大恩人と食べた!思い出の味」
お笑いコンビ「SF世紀宇宙の子」として活動していたフワちゃん。しかし、そのキャラクターが逆に出てしまったのか素行不良で事務所を首に…コンビも解散することになった。その後、ピン芸人として活動するものの、なかなか日の目を見ない中、友人の放送作家から『YouTubeに向いていると思うよ』と勧められて、YouTubeを始めることに。その放送作家と2人でチームを組んで活動し始めると、最初の動画をアップしてから約1年後…タレント指原莉乃さんがフワちゃんのtwitterをフォロー。『フワちゃんのYouTubeが面白い!』と、指原さんの出演番組にゲストで呼んでもらったのをキッカケに一気に大ブレイク!YouTubeチャンネル登録者数は現在、60万人を突破する人気YouTuberになった(※2020年6月19日現在、66万人)。そんな恩人と呼べる指原さんと時々食事に行くという。普段めったに行くことのないお店へ指原さんは連れて行ってくれ、中でも一番思い出に残っているのが、赤坂にある韓国料理店「プロカンジャンケジャン」。ここの「カンジャンケジャン」が絶品で忘れられない味だという。*店舗情報:「プロカンジャンケジャン」東京都港区赤坂3-11-7 ソシアル赤坂ビル 2階
東京・白山「貧乏な学生時代を支えてくれた!日本一の学食」
実は、最終学歴は東洋大学の中国哲学文学科(現・東洋思想文化学科)卒業というフワちゃん。大学時代は学校にも通いながら、芸人養成所にも通う多忙な日々を過ごしていた。しかし、次第に授業を欠席しがちになり、遂に留年。そのことを親に言えなかったフワちゃんは、1年分の学費と養成所の費用で約150万円の借金を抱えることに。そのため、生活費を切り詰めていたフワちゃんの主食は、大学の学食だった。実は、東洋大学・白山キャンパスの学食は「学食ランキング1位」(2017年&2018年、早稲田大学学食研究会調べ)に輝き、バリエーションに富んだ本格的な料理が食べられるという“日本一の学食”で知られる。フワちゃんのオススメは、「Curry manta」の「カレー2種(ハーフ&ハーフ)+ナンセット」 。もちろん、値段は学食なので500円という有難さ。それを貧乏学生仲間だった仲良し女子3人組でシェアして食べていたという。大阪「最悪なイベントで出会ったカレー」(人生最悪の一品)
昨年、いつもやっている営業の仕事と違って、楽しそうだなとノリノリ気分で参加した大阪でのパリピフェス。しかし、行ってみるとお客も30人ほどの閑散としたイベントだったという。そこで、休憩時間に気分を変えよう昼食を食べに行ったお店がネパール&インド料理店「ダイヤモンドスター」だった。すると、あまり期待せずに注文した「チキンバターマサラ」と「チーズナン」が超絶品だったという。特に、「チーズナン」は今まで食べた中で一番美味しいと言える一品で、今も食べに行きたくて仕方ないほど忘れられないという。*店舗情報:「ダイヤモンドスター」大阪府大阪市住之江区北加賀屋2-12-16
東京・板橋「夢を後押ししてくれたハンバーグ」(人生最高の一品)フワちゃんの“人生最高の一品”は、学生時代のバイト先「板橋3丁目食堂」の「煮込みハンバーグ」。アイスクリーム店、家庭教師…学生時代にやったバイトをほぼ全てクビになること15回。そんなフワちゃんが唯一4年間続けられたバイトがある。そこが、「板橋3丁目食堂」(現在は、板橋の地域活性化のため新業態「おにぎり専門店」として営業中)だった。バイト面接の際、遅刻した上に履歴書にも写真を貼り忘れるなど、フワちゃん自身『不採用だろうな』と思っていたが、店長の『夢は何ですか?』という質問に『芸人になりたいです』と答えたフワちゃん。『若者の夢を応援したい』と常日頃思っている店長は、その一言でフワちゃんを採用。しかし、バイトが始まると…最初に任されたホールではお客にタメ口を聞いてしまい、まもなくキッチン担当に。そして、キッチンではつまみ食いを繰り返して、終いに店長が任命したのは「お皿洗い隊長」。その後、全自動お皿洗い機が導入され、フワちゃんの仕事は超簡単な内容に。それでも店長はクビにすることなく、バイトを続けさせてくれた。そんなバイト先での思い出の味が、賄い料理「田舎風煮込みハンバーグ」だった。ダッチオーブンを使ってラタトゥイユのソースで煮込んだ本格的なハンバーグは、賄いとは思えない豪華な一品。
優しくて理解のある店長とは違い、仕事に対して厳しかったのが店長の奥さん。奥さんに仕事のことで厳しく怒られる時も度々あったという。ただそんな時も、この賄い料理を一緒に食べると場が和んだという。フワちゃんのキャラクターも幸いしていたが、何より実家を出て暮らしていたフワちゃんにとって美味しいご飯を食べさせてくれ、居場所となったこのお店、そして両親のような存在だった店長夫妻との出会いが大きかったという。
*店舗情報:「板橋3丁目食堂」(※閉店)
現在は、おにぎり専門店「板五米店」(東京都板橋区仲宿40)として営業中。
30代
2020年6月13日放送回 ゲスト:吉村崇
ごちそう様 吉村崇さん
ゲストは、平成ノブシコブシ吉村崇さん。MC加藤浩次さんと同じく北海道出身の吉村さんが、コロナが収束したら是非行って食べてもらいたい!故郷・北海道の絶品グルメを紹介。そして、芸人人生の危機を救った先輩・加藤さんの言葉と忘れられない料理、父への感謝を込めた“人生最高の一品”とは?
■お品書き北海道・札幌市「魅惑の北海道グルメ(1)」
地元の北海道札幌市に帰るとよく訪れるお店「ジンギスカーン」。ちょっとふざけた店名だが、数あるジンギスカン専門店の中でも、特に肉にこだわり、味は絶品の名店だという。高級フランス料理などにも使われるブランド羊サフォーク種の肉を塊のまま仕入れて捌き、希少な部位を提供している。
一昔前と違い、現在流通しているラム肉は全く臭みがないので、タレではなく、20種類のブレンド塩や刻みわさびやでさっぱりといただくのもオススメ。
*店舗情報:「ジンギスカーン」北海道札幌市中央区南5条西6丁目 多田ビル1F
北海道・札幌市「魅惑の北海道グルメ(2)」
ジンギスカンと並ぶ、定番の北海道グルメと言えば、味噌ラーメン。しかし、吉村さんがオススメするのは「ちゃんぽん」。札幌の繁華街すすきのにある「ちゃんぽん一鶴」。以前は夜9時頃オープンして夜間営業していたそうで、吉村さんはここでシメに「ちゃんぽん」をよく食べていたという。鶏ガラ・豚骨から出汁をとったスープに魚介などを加えた一杯は、本場長崎ちゃんぽんよりも少し濃いめの味つけ。寒い冬に食べると、身も心も温まるという。
*店舗情報:「ちゃんぽん一鶴(いっかく) すすきの店」北海道札幌市中央区南6条西3丁目 おふく会館1F
東京・赤坂「芸人人生を変えた餃子」
東京・赤坂にある鶏餃子専門店「赤坂よ志多」。実はここ、吉村さんが加藤さんと初めて会った場所。今からおよそ12~3年前、唯一のレギュラー番組がなくなって悩んでいた吉村さんに対し、加藤さんは相談にのり、いろいろアドバイスをしてくれたという。その時、加藤さんの言葉もあって気が楽になった吉村さんにとって、先輩の優しさに触れた忘れられない思い出の店。加藤さんもよく行くというこちらの餃子は、豚や牛ではなく国産の鶏肉を使用した餡が特徴。食べやすい一口サイズで、水餃子や手羽餃子など9種類もの餃子を楽しめる。
*店舗情報:「鶏餃子専門店 赤坂よ志多」東京都港区赤坂2-14-12高橋ビル1F
北海道・札幌市「支え続けてくれた父への恩返し」(人生最高の一品)
吉村さんの“人生最高の一品”は、札幌すすきのにある「鮨処うえの」のお寿司。幼少期に両親が離婚し、父子家庭で育った吉村さん。売れなかった若手時代には、親戚に頭を下げてお金を工面し仕送りするなど、夢を追い続ける吉村さんを父は何も言わず支えてくれたという。そんな父へのお礼と感謝を込め、初めてごちそうしたのが、このお店だった。人気メニューの一つが、国産かんぴょうを使用した「干瓢巻き」。
そして、父への感謝を込めてご馳走した“人生最高の一品”は、「手のせ雲丹(うに)」。時期によって仕入れ先を変えるうにを海苔はあえて使わず、シャリにのせるだけの一品。それを大将が手渡しで提供する。
*店舗情報:「鮨処うえの」北海道札幌市中央区南六条西3丁目 ジョイフルサッポロ1F
「不仲だったコンビの運命を変えた…最悪の一品」(人生最悪の一品)
今から約10年前、ある番組で海外ロケの仕事が増え、世界各地の部族にホームステイして過酷な生活を体験した平成ノブシコブシの二人。中でも、パプアニューギニアのある部族にホームステイした時に食べたものが衝撃的すぎて、まさに“人生最高の一品”だったという。それは、部族民の頭にのせた火鉢を使った謎の調理法で焼いた「クモの丸焼き」。その味は、まるで“焦げ”を食べているような感じだったとか。しかし、そんな最悪な食体験をした仕事が、平成ノブシコブシの運命を大きく変えることになる。
当時、キングコング、ピース、ノンスタイルといった同期がどんどんテレビ出演し活躍していく中、何も結果を出せずにいた平成ノブシコブシ。吉村さんは焦りもあり、うまくいかないことを全て相方の徳井さんのせいにしていたという。
当然、コンビ仲は最悪で…仕事以外では全く会話もなかった。そんな何もかもうまくいかなかった時に舞い込んできたのが、海外ロケの仕事だった。そのチャンスに二人は、全てをかけて必死に食らいついた。
すると、なぜか部族に愛された相方・徳井さんの存在のおかげで、結果的にロケも面白い内容になり、世間的にも好評だった。その後、人気が出てテレビで活躍の場を広げた二人は、現在の地位を築くまでになった。『今の平成ノブシコブシがあるのは、あの海外ロケで弾けた相方のおかげ』と語る吉村さん。今では、今までで一番仲が良い関係になっているという。
50代
私もラムが好きなので今度オススメされたお店に行ってみたいです。一番衝撃だったのは昔海外ロケで食べたという焦げた蜘蛛。売れるためになんでもやったというその時の必死なエピソードを語っていました。売れたところでお父さんにお寿司を振る舞ったという話は感動しました。
40代
50代
30代
2020年5月23日放送回
「タクノミでつながろう」特別編(1)
今回は、「タクノミで繋がろう」特別編!MC加藤浩次さん、女将・島崎和歌子さん、常連客・高橋茂雄さん(サバンナ)、アシスタントMC宇賀神メグさん(TBSアナウンサー)の出演者4人がリモートで飲み会を開催。これまで番組で紹介してきた706店舗1155品の中から厳選した“最高の肉料理”を肴にトークを展開。
■お品書き
寺門ジモン“人生最高の肉料理” 神戸 ?皮「サーロインステーキ」(2017年6月17日放送)
“日本一の肉好き”寺門ジモンさんの“人生最高の肉料理”は、神戸にあるステーキハウス「?皮」の「サーロインステーキ」。ステーキ店として世界で初めて“ミシュラン二つ星”の評価を受け、ジモンさん曰く、『日本一のステーキ!いや、世界一のステーキかもしれない!』というほどの名店中の名店。
*店舗情報:「?皮(あらがわ)」兵庫県神戸市中央区中山手通2-15-18
出川哲朗“人生最高の肉料理” 東京・渋谷 ゴールドラッシュ「ハンバーグ」(2018年4月14日放送)
これまで日本全国、さらには世界中を巡り、ありとあらゆる美味しいものを味わってきて、“芸能界一の食通”だと言い張る出川哲朗さんの“人生最高の肉料理”は、渋谷にある「ゴールドラッシュ」の「ハンバーグ」。専門学校の同級生ウッチャンナンチャンの二人(内村光良、南原清隆)と劇団シャララを旗揚げし、座長を務めながら役者を目指していた20代前半。出川さんは横浜の実家を出て、渋谷の六畳一間・風呂トイレなしアパートで一人暮らしをしていた。アルバイト生活で給料が入った時、ご褒美に食べたのが、近くにあった「ゴールドラッシュ」のハンバーグだった。以来、30年通い続けているという。
挽き肉に和牛の脂を混ぜることで旨味を増し、隠し味に醤油を加えたデミグラスソースが絶品。チーズハンバーグはマスタードとマヨネーズを塗った上にチーズをのせるという一工夫が堪らない一品。
*店舗情報:「ゴールドラッシュ渋谷本店」東京都渋谷区宇田川町4-7 トウセン宇田川ビル4F
オーナー加藤浩次“下積み時代のご褒美メシ”
MC加藤浩次さんには、下積み時代に心の支えとなったご褒美メシがあるという。それが、名店「叙々苑」の焼き肉。北海道から上京して25歳頃まで、芸人の仕事だけでは食べていけなかったという加藤さん。そんな加藤さんがバイトしていたのが、ママと娘さんの母子二人だけで切り盛りしていた中目黒のBar。お店の売り上げがいい時に、ママが連れて行ってくれたのが「叙々苑」の中目黒店」だった。北海道出身ということもあり、肉といえばジンギスカンだった加藤さんは、その時に初めて食べた名店の「カルビ」の美味しさに度肝を抜かれてしまい、肉の概念が完全に変わってしまったそう。それからというもの、お店の売り上げアップのために、お客のボトルをなんとか減らそうと必死だったとか。そして、『こんな美味しい肉を、食べたい時に食べられるようになりたい。そのために、仕事を頑張ろう』と誓った若かりし頃の加藤さんであった。
*店舗情報:「叙々苑 中目黒店」東京都目黒区青葉台1-29-12セブンスターマンション1F
森泉“人生最高の肉料理” 東京・赤坂 ルイプリマ「ビーフカツレツ」(2017年5月27日放送)
モデル森泉さんの“人生最高の肉料理”は、赤坂にある「ルイプリマ」の「ビーフカツレツ」。実はこれ、世界的ファッションデザイナーの祖母・森英恵さんを筆頭に華麗なる一族、森家の全員が虜になったという一品。
塊で仕入れた牛肉はメイン部分をカツレツに、そして余分なスジの部分はソースに使用。牛スジをたっぷり使った自家製デミグラスソースは『一滴も無駄にしたくない』と家族全員がお皿を舐めるほど絶品で、レアに仕上がったカツレツにかけると美味しさは倍増する。その美味しさは、いつもみんなをhappyにしてくれるという。
*店舗情報:「LOUIS PRIMA ?ルイプリマ?」東京都港区赤坂8-12-12 赤坂アンドロン1F
尾上松也“人生最高の肉料理” 東京・板橋 テンダーハウス基順館「シャトーブリアン」(2017年5月27日放送)
ただ美味しいだけでなく、味も見た目もパンチが効いた料理が好きで『とにかくガツガツ食べたい!』という尾上松也さん。そんな松也さんの“人生最高の肉料理”は、東京・板橋にある「テンダーハウス基順館」の「シャトーブリアン」。完全予約制で1日1組限定。政界や芸能界の人々が通う、知る人ぞ知る名店。
ただ美味しいだけでなく、味も見た目もパンチが効いた料理が好きで『とにかくガツガツ食べたい!』という尾上松也さん。そんな松也さんの“人生最高の肉料理”は、東京・板橋にある「テンダーハウス基順館」の「シャトーブリアン」。完全予約制で1日1組限定。政界や芸能界の人々が通う、知る人ぞ知る名店。
*店舗情報:「テンダーハウス 基順館」東京都北区滝野川6-84-8
女将・島崎和歌子“地元・高知の行きつけラーメン”
島崎和歌子さんの地元・高知県。家族みんなで通った思い出の店が「ラーメンの豚太郎」。高知県民はみんな知っている有名チェーン店で、オススメは「味噌ラーメン」。ただ、普通の味噌ラーメンではなく、なぜかトンカツがのっている。幼い頃から食べてきた島崎さんには普通だが、県外から来たお客は『味噌ラーメンにとんかつ!?』と、必ずびっくりする一杯。
*店舗情報:高知県内に約30店舗展開
志村けん“人生最高の肉料理” 東京・鶯谷 玉勝「ちゃんこ鍋」(2019年2月23日放送)
志村けんさんが愛した“人生最高の肉料理”は、東京・鶯谷にある「玉勝」の「ちゃんこ鍋」。ザ・ドリフターズに入った24歳当時、暮らしていた鶯谷。付き人から正式メンバーにとなり、初めてもらった給料で自分へのご褒美として食べたという。下町情緒あふれる街に佇むこのお店は1958年創業で、芸能界やスポーツ界の大物たちが訪れる名店。志村さんはじめ、多くの人たちが魅了された「ちゃんこ鍋」は、鶏肉と野菜が基本。白菜や牛蒡、人参、小松菜、豆腐などをまず敷き詰め、その上に福島県産伊達鶏をのせ、調味料を使わずに伊達鶏を15時間煮込んだスープを入れる。更にその上に野菜(一番ニラ、小松菜、ほうれん草、春菊)をのせてグツグツと煮込む。
何より美味しさの決め手は、醤油ベースの特製つけダレ。ネギ、伊達鶏の卵、青のり、一味唐辛子を加えたつけダレは絶品で、志村さんも何度もマネしようと作ってみたが再現できない美味しさだという。
初めての給料で食べたこの味が恋しくて…国民的人気者となった後も志村さんは度々、足を運んでいた。実は亡くなる10日前、入院中の志村さんに『玉勝のおやじさんが元気かどうか、確かめてくれないか』と頼まれた事務所スタッフがわざわざ来店してくれたという。ご主人の高橋正一さんは、『本人も具合が悪いのに、最期まで気遣いの方でした』と、志村さんの優しい素顔を明かしてくれた。
*店舗情報:「玉勝(たまかつ)」東京都台東区根岸3-2-12 鈴木ビル
30代
40代
2020年5月16日放送回 ゲスト:井川遥
ごちそう様 井川遥さん
ゲストは、井川遥さん。角ハイボールのCMでおなじみ!女優、モデルでありながら2児のママ!“癒し系の女王”としてOLや主婦をはじめ、サラリーマンからも大人気の彼女の素顔は“食いしん坊”だった。
■お品書き
東京・六本木「1日1回は食べる!病みつきの肉」
お店でメニューを選ぶ際には、食べたいものが多すぎて優柔不断になってしまうほど、自ら“食いしん坊”と認める井川遥さん。そんな井川さんの大好物は、1日1回は食べるという“鶏肉”。冷蔵庫にはいつでも食べられるようにストックしてあるそう。一番好きな鶏肉料理は、シンプルに茹でて塩胡椒でいただく「茹で鶏」。茹でた後は、お肉を取り出し、水溶き片栗粉を入れて「鶏スープ」にするのもオススメ。また、残った分は、卵を加えて「鶏雑炊」にアレンジできる。そんな無類の鶏肉好き・井川さんのオススメするお店は、六本木の東京ミッドタウンにある中華料理店「SILIN火龍園」。
*店舗情報:「SILIN火龍園」東京都港区赤坂9-7-4東京ミッドタウン ガレリア ガーデンテラス 2F
「何度もチャレンジしてやっと克服した!牡蠣」(人生最高の一品)
井川遥さんの“人生最高の一品”は、果敢に何度もチャレンジして克服した「牡蠣」。牡蠣を求めて食べ歩いた結果、イチオシのお店は、赤坂にあるオイスターバー「ヴィノーブル」。瀬戸内海に浮かぶ無人島で獲れた希少な牡蠣が楽しめる。美味しく食べてもらうため、地元の漁師さんの直接指導で処理や調理法が徹底された、こだわりの牡蠣。オススメは、6種類が1セットになった「おまかせオイスタープレート」(※季節により種類は変更)。
*店舗情報:「オイスター&ワイン ヴィノーブル」東京都港区赤坂2-11-13 COMMON AKASAKA 1F
無類の牡蠣好きの井川さんには、他にもお気に入りのお店が。お箸でいただくスタイルの創作フレンチのお店で、普段は取材NGのところを今回特別に撮影の承諾いただいた。オススメは、「牡蠣の炭火焼き」。
*店舗情報:非公開
30代
20代
20代
40代
50代
30代
50代
20代
30代
2020年5月9日放送回 ゲスト:眞栄田郷敦
ごちそう様 眞栄田郷敦さん
ゲストは、眞栄田郷敦さん。2019年、話題を呼んだドラマ「ノーサイドゲーム」でキーマンを演じ、いま大注目の若手俳優は、“爆食王子”だった!?『(食欲の)リミッターが外れると、ヤバい』『おいしければ、ゼロキロカロリー』など、名言を連発したイケメン俳優の素顔とは?
■お品書き岡山市「店名がビミョーな定食屋さん」
プロのサックス奏者を目指して進学した岡山での高校時代、郷敦さんがよく通っていたお店がある。学校から徒歩5分にある定食屋さん「Let’s悟飯」。「ドラゴンボール」が好きだという店主が付けたちょっとふざけた店名だが、味は絶品だという。郷敦さんが大好きでよく食べていたのが、「チキン南蛮定食」。揚げた鶏肉を秘密のタレに浸して衣がべちゃっとしたのが特徴で、自家製タルタルソースでいただく。育ち盛りの高校生には、ご飯がすすむたまらない一品。親元を離れ、サックスに明け暮れた高校時代、郷敦さんを支えてくれた思い出の味。*店舗情報:「Let’s 悟飯」岡山県岡山市北区津島笹が瀬1-16
東京・神楽坂「究極の白い揚げ物」
高校卒業後、上京して音楽から俳優の道へ進み始めた郷敦さん。上京当時、大好物のとんかつ食べ歩きをする中で辿り着いた名店がある。神楽坂の「あげづき」。オススメは「特上ヒレかつ」。旨みが抜群にある宮崎県産の希少な豚肉は、ステーキ並みに肉厚で食べ応えがあって、とにかく肉肉しいという。低温の油で20分間ゆっくり火を通して肉の旨みと水分を閉じ込め、さらに高温で衣をサクサクに仕上げた、白い衣が特徴の一品。郷敦さんは、塩で食べるのがお好みだという。そして、とんかつ以上にお気に入りなのが「ササミフライ」。たった20年の人生だが、「ササミフライ」の概念がぶっ飛ぶ、美味しさだという。
*店舗情報:「あげづき」東京都新宿区神楽坂3-2 山ノ内ヒ゛ルB1F
「母の作る粕汁」(人生最高の一品)
眞栄田郷敦さんの人生最高の一品は、おふくろの味「粕汁」。それには、アメリカで生まれ育った郷敦さんならではの理由があった。幼い頃、家族で外食に行く時に父が「どこに行く?」と聞くと、いつも「ママレストラン」と言っていたという郷敦さん。それほど大好きな母の手料理の中でも、一番の大好物が「粕汁」。 アメリカの地で母が作る日本の味は、“日本人としての大事な部分を忘れないように”というメッセージが込められていたのでは…と思うそうだ。その「粕汁」は人参・大根・ちくわ・油揚げを鰹出汁で煮込み、酒粕は濃いめ。味噌ではなく醤油で味付けし、最後にネギを山盛りにトッピングした一品。今でも、母の「粕汁」を食べたいがために、京都の実家に帰ることもあるという郷敦さん。「粕汁」だけでなく、いつも背中を押して温かく見守ってくれる母の存在こそが、大きな心の支えとなっているという。
40代
40代
40代
30代
40代
2020年5月2日放送回
おかわりスペシャル(4)
ごちそう様 林家たい平さん・藤ヶ谷太輔さん(Kis-My-Ft2)・中村獅童さん「食」と「人生」がたっぷり詰まったアノ人のアノ話を“オカワリ”するスペシャル第4弾!今回は、国民的番組「笑点」でお馴染みの落語家・林家たい平さん、“ジャニーズの中で最も苦労したグループ”の1つと言われるKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さん、“歌舞伎界の異端児”中村獅童さんの3名。大切な人との絆…感動のおいしいお話をオカワリしました。
■お品書き林家たい平(2020年2月8日放送)
東京・浅草「涙を流しながら師匠と食べた…天丼」(人生最悪&人生最高の一品)
たい平さんが真打に昇進したのは、2000年のこと。その披露パーティーを師匠である林家こん平さんの誕生日にやると決め、師匠が尊敬する国民的歌手・三波春夫さんを呼んで喜ばそうと思ったたい平さんは、思いをしたためた手紙を三波春夫さんに送った。すると後日、こん平師匠に呼ばれて行くと、目の前には2通の手紙が。1通は、自分が三波春夫さんに送ったはずの手紙。そして、もう1通は三波春夫さんが師匠に宛てた手紙だった。こん平師匠宛の手紙にはこう書いてあったという。『たい平さんの気持ちはよくわかりました。ただ、芸能界には芸能界のしきたりがあって、物事を頼む際には順番を踏まないといけない。そこは、わきまえないといけない。ただ、たい平さんの気持ちをこん平師匠にはよくわかって欲しいから、その手紙を同封します』と。そして、こん平師匠は『こんなことを教えてくれる人はいない。三波先生のところに二人で謝りに行こう』と言い、一緒に謝罪に行ってくれたという。その帰り、申し訳なさでいっぱいだったたい平さんは『ご馳走させてください』と、本来は弟子が師匠に言うことのない言葉を発する。すると、こん平師匠は『ご馳走になろう!おいしくて高いもの』と答えてくれたという。その時に二人で食べたのが、師匠の大好きな浅草の「大黒家天麩羅」の「天丼」だった。えび2本に、かき揚げ1枚入り。ごま油の香ばしい「天丼」を前に、たい平さんは『本当にすみませんでした』と何度も謝ったという。しかし、そんな弟子を前にこん平師匠は『よし、もういい。これからは美味しく食べよう!』と一言。その後は、『おいしいね!おいしいね!』と食べたという。そんな師匠の愛情に触れ、申し訳なさと嬉しさで、こん平さんは天丼が涙で見えなかったという。師匠との絆がより深まった一品であった。
*店舗情報:「大黒家 天麩羅 別館」東京都台東区浅草1-31-9
藤ヶ谷太輔(2020年3月21日放送)
東京・渋谷「アイドル人生の苦楽を共にした…ラーメン」(人生最高の一品)
藤ヶ谷太輔さんの“人生最高の一品”は、NHKの食堂の「ラーメン」。1杯280円。小学5年生(11歳)でジャニーズ事務所に入り、長いジャニーズJr.時代を経て、24歳でKis-My-Ft2のデビュー、そしてデビュー9年目にして果たした紅白初出場…21年のアイドル人生で苦楽を共にしてきたのが、このラーメンだった。今まで400、500杯は食べ、いつも食べると『初心に戻れる味』。2019年、初めて紅白に出場した時もメンバーとすすったラーメンは、『こんなうまかった?』と思うほどの美味しさだった。これからの芸能人生においても、藤ヶ谷さんがずっと食べ続けていくであろう“最高の一杯”。「ひと言が重い…中居正広さんとの食事」(人生最悪の一品)
グループとしても、個人としても一番お世話になっている先輩・中居正広さん。そんな中居さんと時々食事をすることがあり、そこではいつも、メンバーが出演した番組をほぼ観ている中居さんから具体的なアドバイスがあるという。そうなると、いつしか箸も止まってしまい、手は膝の上でひたすら緊張しながら話を聞く…といった状況に。藤ヶ谷さん的には、中居さんとの食事は『気楽にご飯行って楽しいとはならない』という意味で、“人生最悪”にして中居さんをイジろうとしてみたが…そうはならなかった。というのも、中居さんと二人きりで旅行するほどの関係で、これまで本当にお世話になってきているから。『汗をかき、恥をかき、ベソをかく。この“3かき”をしないとダメだ。そうしないと感動するものは生まれない』、『Kis-My-Ft2が、SMAPを越えろ』など、印象に残る中居さんのアドバイスがたくさんある。そして、ジャニーズ事務所を退所する中居さんへの思いを聞かれると…『すごい寂しいけど、これからの中居さんの姿をしっかり見て、自分たちは“コイツらなら大丈夫”だと思ってもらえるようになりたい』と語った。中村獅童(2020年3月28日放送)
神奈川・鎌倉「愛妻との縁を繋いでくれた…あの街のイタリアン」
獅童さんのことを支える妻の沙織さん。出会いは、獅童さんの行きつけのアクセサリー店。店員だった沙織さんのことが気になっていた獅童さんが招待されたパーティー後、飲みに誘ったのがキッカケだった。しかし、沙織さんは3時間経っても現れず…痺れを切らした獅童さんが電話で言った言葉は『お前、早く来いよ』。実は、沙織さんはどう断ろうかとずっと上司に相談して悩んでいたという。そんなことは知らず、その後やって来た沙織さんに対し、お酒が入っていい気分になっていた獅童さんは『俺と結婚しよう』と、いきなりのプロポーズをする始末。その次の日、前日のヒドイ自分を猛省した獅童さんは、あらためて沙織さんを食事に誘った。そうして初デートで行ったのが、某番組の鎌倉特集で知ったイタリアン「Fosseta(フォセッタ)」だった。初デートで食べたのは、その某番組で紹介していた「魚介を使ったパスタ」だった。湘南の海で獲れたシコイワシ(カタクチイワシ)と旬の鎌倉野菜・菜の花を使った「小坪シコイワシと湘南菜の花のアーリオオーリオスパゲティ」。もちろん、味は絶品だった。
ちなみに、ヒドかった前日と異なり、その日は沙織さんに振り向いてもらおうと一生懸命だった獅童さん。そのギャップが沙織さんの心を掴んだのか、無事交際がスタートしたという。今も、時々この店に行った時には、当時のことを思い出す、獅童さんにとって大切な思い出の味。
*店舗情報:「Fossetta(フォセッタ)」神奈川県鎌倉市西鎌倉1-2-1
「最愛の母が残してくれた…最後の大好物」(人生最高の一品)
歌舞伎の名家に生まれたものの、父が歌舞伎俳優を廃業したことで後ろ盾もなく、自ら道を切り拓いてきた獅童さん。そんな獅童さんを幼い頃から支え続けたのが、母・陽子さんだった。その最愛の母が、2013年の冬、突然他界した。あまりにも突然のことで混乱した獅童さんだったが、妻・沙織さんと二人で家を整理した際、冷蔵庫を開けて出てきたのが、「母が作り置きしていたビーフシチュー」だった。それが、中村獅童さんの“人生最高の一品。※イメージ
獅童さんも、妻・沙織さんも大好物だった「母のビーフシチュー」。母の最後の手料理だけに食べるに食べられず、数週間後ようやく二人で口にした時、母との思い出が走馬灯のように甦ったという。後ろ盾のない中、獅童さんが憧れて入った歌舞伎の世界…身の回りの世話から全てやってくれ、いつも獅童さんを応援し続けてくれたのが母・陽子さんだった。その母が亡くなってから気付いた感謝の気持ち、そしてケンカしたまま謝ることもしてなかった後悔、何も伝えられてなかったし、何もしてやれてなかった…と今も獅童さんは心残りだという。だからこそ、『だらしなくてダメな人間ですけど、少しでも、もっともっといい役者になって、真面目に生きないといけない』と、涙ながらに母への思いを語った。最後になった「母のビーフシチュー」は、“料理は作り手の思いを感じて、いただかないといけない”そして、“普段の何気ない日常を大切に生きなければいけない”と教えてくれたのであった。
40代
40代
30代
20代
2020年4月25日放送回
おかわりスペシャル(3)
ごちそう様 ミキ 昴生さん 亜生さん・小川彩佳さん・冨永愛さん「食」と「人生」がたっぷり詰まったアノ人のアノ話を“オカワリ”するスペシャル第3弾!今回は、兄弟お笑いコンビ・ミキの昴生さんと亜生さん、「NEWS23」メインキャスターの小川彩佳さん、モデルの冨永愛さんの「そんな時代もあったなあ」という新人・下積み時代のお話をオカワリしました。
■お品書きミキ(2020年3月14日放送)
大阪・心斎橋「コンビ結成前夜の忘れられない…絶品の鉄板鍋」
現在は閉店してしまったが、二人がコンビを結成するキカッケになった店が大阪・心斎橋にあった。先輩芸人が店長をしていた店で、兄・昴生さんは芸人仲間とよく通っていた。そこに学生だった弟・亜生さんも呼ばれて同席。そこで亜生さんは、お金のない芸人たちが楽しそうにしている姿を目の当たりにして『こんな面白い世界があるのか』と驚き、お笑いの世界に興味を持ったという。さらに、ここは昴生さんが奥さんと出会った場所でもあった。お互い常連客同士で意気投合。付き合い始めたものの、昴生さんは鳴かず飛ばずで、半分ヒモ状態。そんな時、彼女が『亜生とコンビ組み!』と一言。その言葉がキッカケとなり、兄弟お笑いコンビ・ミキが誕生したのだった。そんなミキの二人も、昴生さんの奥さんもみんな大好きでいつも食べていたのが「鉄板鍋」。牛肉・ホルモン・つくね・野菜などを盛り付けた、安くて美味しい一品。この「鉄板鍋」があったからこそ、昴生さんは奥さんと出会い、そして亜生さんとの兄弟コンビが誕生した。コンビ結成を導いてくれた一品と言っても過言ではない。
大阪・大国町「ドン底の中で食べた…人生最高のハンバーグ」(人生最高の一品)
兄弟コンビを結成して受けた最初のオーディション。面白くなかったら途中で切られるゴングショー形式で行われ、ミキ最初の漫才は僅か10秒ほどで切られてしまったという。順風満帆に行くと思い込んでいた弟・亜生さんは、かなり落ち込んでしまう。そんな弟に対し、兄・昴生さんは『おいしいものを食べに行こう』と声をかけ、当時彼女だった奥さんと3人で行ったのが大阪・大国町の「HamBurg&Cafe THE BURG」だった。もちろん、支払いは奥さん持ちで。劇場近くのその店には、同様にオーディションに落ちた若手芸人が他にもたくさんいて、どんよりした空気が今でも思い出されるという。昴生さんが“人生最高の一品”に選んだのは「チーズびっくりハンバーグ」。こだわりのタネは、牛・豚・鶏の3種のひき肉、自家製の香辛料、つなぎを使い、作り置きせず毎日練って作る。平たく大きいのが特徴。
一方、亜生さんが“人生最高の一品”に選んだのは「ハンバーグスパゲッティー」。スパゲッティ―の上に名物のハンバーグをのせたボリューム満点の一品。
ボロクソに言われドン底から始まった“ミキのお笑い人生”。今や人気者となったミキの二人だが、これまで“つらい時こそ美味しいものを食べよう”と言って頑張ってきたという。この店のハンバーグは、挫折を乗り越えてきた二人にとっての、まさに“原点”の味である。
*店舗情報:「HamBurg&Cafe THE BURG」大阪府大阪市浪速区敷津東1-6-14朝日ビル
小川彩佳(2020年2月1日放送)
東京・白金「ひとり反省会で…絶品の串焼き」
テレビ朝日時代は「報道ステーション」のサブキャスター、そして現在はTBS「NEWS23」のメインキャスターとして、生放送の報道番組に出演し続ける小川彩佳さん。日々の仕事の中で、もちろん失敗もあるという。そんな日は放送終わりに、直帰せず一人反省会で飲みに行くことも。一人反省会のお店の一つが、白金にある和牛専門店「牛泥棒」。小川さんオススメは、「牛ホホのシチュー串」。デミグラスソースでしっかり煮込んだ牛ホホ肉の串焼きに、バケットを添えられた一品。
他にも、和牛専門店ならではの絶品お肉の串焼きがズラリ。その日のオススメお肉3種を贅沢に串焼きにした「特選雌牛3種食べ比べ」は人気メニュー(写真は、ザブトン、カイノミ、ランプの3品)。
*店舗情報:「牛泥棒」東京都港区白金5-10-12 1F
冨永愛(2019年12月28日放送)
フランス・パリ「トップモデルのご褒美カルビ」
15歳でモデルとなり、17歳で海外初挑戦。トップモデルという栄光を目指し、世界中から集まったモデルたちと競い合い、何万人という中からオーディションを勝ち抜き、ようやくランウェイに立てる。そんな厳しいモデルの世界で闘い、パリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨークという世界のファッション界で活躍するようになった冨永愛さん。そして遂に海外挑戦して10年、27歳の時に一流ブランド「GIVENCHY」のエクスクルーシブ(専属契約)を勝ち取る。ブランドに1人しかいないエクスクルーシブになれることは、いわゆるスーパーモデルの証。そんなモデルとして認められた嬉しい時や、ひと仕事終えた時のご褒美として、異国の地パリで訪れたのが、セーヌ川の近くにある焼肉店「松ちゃん」。日本人が営んでおり、店内に入ればまさに日本。フランスのファッション界にもファンの多い人気店だという。ステーキ肉も美味しいフランス産のお肉を使用し、特製タレでいただく焼肉は、日本で食べるのと遜色ない美味しさ。*店舗情報:「松ちゃん」フランス パリ テアトル通り 55
アメリカ・ニューヨーク「17歳、単身NY生活を支えた…母の味」(人生最高の一品)
17歳の時、冨永さんは海外のコレクションに初挑戦。最初の地は、単身で乗り込んだニューヨークだった。当時は、ロシア、ブラジルなど世界中から集まった同年代のモデルたちとアパートメントで共同生活。トイレ、お風呂、キッチン、電話…すべてをシェアして暮らしていた。そんな不慣れな生活を送る中、心の支えとなったのが、小さい頃から慣れ親しんだ母の味だった。それが、母の手作り「梅干し」。海外生活だと日本食が思うように食べられなかったため、スーツケースに「サトウのごはん」、「インスタント味噌汁」、そして「母の手作り梅干し」をスーツケースにいっぱい詰め込んで持って行っていたという。「母の手作り梅干し」は、甘くなく、しょっぱい酸っぱい昔ながらの味付け。海外生活で疲れた時、そして辛い時に一粒かじって、涙を流したこともあったという。しかし、そこからトップモデルまで駆け上がった冨永さん。この世界で頑張ってこれた原動力は、“怒り”だという。冨永さんが海外挑戦した当時は、ファッション界はアジア人というだけで「黒しか似合わない」「ドレス似合わない」などと偏見で見られていた時代。そのことが悔しくて、冨永さんは『絶対負けない!絶対トップまで行ってやる!』とモチベーションを保ち、挑戦を続けた。そんな冨永さんを時に支えてくれたのが、母の味「梅干し」だった。
30代
30代
『人生最高レストラン』はどんな番組?
2017年からTBS系列で毎週土曜日に30分枠で放送されているグルメトークバラエティー番組です。
毎週多彩な芸能人をゲストに、人生で最高の”食”に関する話をレギュラーメンバーと共に展開します。
2019年12月28日からはMCに、加藤浩次さん(極楽とんぼ)。アシスタントMCに宇賀神メグさん(TBSアナウンサー)。女将の設定として、島崎和歌子さん。常連客の設定で、毎週各1名準レギュラーの芸能人が交代で出演します。
番組では、大好物の食べ物の話や、人生最高の一品、人生最悪の一品が紹介されます。
とは言っても、一番おいしかった物と美味しくなかった物と言うよりは、人生において印象に残っている思い出の食事やメニューに纏わるエピソードの話。
例えば、すごく辛いときに助けてくれた人の心温まる手料理や、苦い思い出のレストランで食べた物みたいな感じです。
俳優・芸人・スポーツ選手・作家等様々です。
『人生最高レストラン』の見所・おすすめポイント
普段は芸能人のの素顔を観る機会がありませんが、番組では食に関する思い出の話や経験談を通し、ゲストの過去や意外な部分を知れたり人柄がわかるところが見所です。
又、ゲストの変わった習慣やこだわりが聴ける点も面白いです。特に売れない時代の苦労話、大変な思いをした時のエピソードなどは、興味深いです
人生には色々な事がありますが、ゲストのエピソードを聞くと、人生の門出だったり節目には”食”が大抵関わっているものだと思わされ、食事とは時に単にお腹を満たす以上の事にもなりえる事が感じれる番組です。
ゲストのエピソードに出てくる食べ物や、食べれるお店やレストランも詳しく紹介もありますので、グルメ情報としても十分です。実際に足を運んでみるの良いかもしれません。
常連客設定の準レギュラー紹介!
- YOU
- 堀田茜
- 藤森慎吾
- 足立梨花
- 中村静香
- 岡田圭右(ますだおかだ)
- 川島明(麒麟)
- 陣内智則
- 高橋みなみ
- 井戸田潤等
『人生最高レストラン』の人気企画を紹介
中村獅童さん 6年越しの大勝軒のラーメン
歌舞伎界の異端児 中村獅童さんは、小学校から高校まで東京吉祥寺に通っていたそうで。
小学1年生から毎日バスで通学していましたが、昭和30年創業の永福町大勝軒の前をバスが通るとき、車内まで美味しそうなラーメンの香りが漂ってきたそうです。そして小学6年生の頃、おこづかいを貯めて一人で暖簾をくぐったとの事。
それ以来、永福町大勝軒を愛してやまない獅童さんですが、愛してやまないあまりに大勝軒のラーメンを食べる際のこだわりがスゴイ。
大勝軒のラーメンは気軽に食べられる物のではなく、体調と精神を万全な状態に整えていくべし。整え方はと言うと。
- 当日の朝はサラダ
- 昼は食べない
- 大勝軒へ思いを巡らせる。
- 体調を整えた状態で訪問だそうです。
中島健人さん ジャニーさんとの人生最悪の焼肉
ジャニーズJr.時代にジャニーさんに初めて焼肉に連れて行ってもらった時の話です。
ジャニーさんは大皿で食べきれないほどの肉を注文し、一気にお肉を焼き始めたことに驚いた中島健人さん。
田中樹さんと連れてきてもらっていて、2人でそのお肉を食べることに。中島健人さんは、食べるのを断ったらデビューさせてもらえないかも?と思い、味がわからなくなるほど食べたそうです。
しかしジャニーさんは最後に巨大なスイーツを注文してしまい、食べきれない2人は、ジャニーさんが席を外したすきに鉄板へぶち込んでしまったそう。
生瀬勝久さん 最後の晩餐はカレーライス
バイク好きの生瀬勝久さんは20歳の頃、ツーリングでカーブを曲がり切れず転倒。車のタイヤの下敷きになるような大事故に遭遇。
前日はカレーライスを食べていた生瀬さん。もし事故で死んでいたら、最後の晩餐は、カレーライスだったかもと。
それからは、「人生はいつ死ぬかわからない。生きている間は好きなことをやろう」考えが変わり、芝居を頑張ったそうです。そういう意味で最後の晩餐になりかけたカレーライスは、人生最高の一品だそうです。
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